こんにちは、ゆいです。

今日はどんな一日だったでしょうか。

ゆいはこの週末娘と一緒にバナナケーキをつくっていました。何もすることが決まっていない休みの日は、こうやって買い物行ったり料理したりするのかなぁ、って漠然と感じていた週末でした。

今日はちょっとしたオフを満喫してきました。娘がいない時間で自分のやりたいことをすることができるのも、フリーランスで仕事の時間を自由に設定できるからだなと思っています。

やっぱりゆいは、専業主婦とか、バリキャリママとかはすごくて、自分にはなれないなと思います。今の働き方だから、ゆいはゆいらしく育児ができている。

ゆいのママは、もともと専業主婦の人でした。そして、ゆいが小学校低学年のころからパートで働いてました。

始めたころは週に2回とかしか働いてなかったのが、気づいたら最近は週5日も働いています。高校生の頃とかは、部活が終わって家に帰ってもママはまだ帰ってきていないことも日常茶飯事でした。

だからさみしかったのか?と聞かれたら、よくわかりません。ただ、昔からゆいは親と自分の話をすることができない子どもでした。それは今もあんまり変わってない。

一度、決断をする前に相談しなさい、とすごく怒られたことがあります。学生の頃だったし、パパのいっていることはごもっともな意見だと思いました。それでもゆいは、いまだに自分の意見を素直には表現できません。

なぜかといわれたら、潜在的な感覚なんだと思います。「だめだ」といわれるのがすごく怖い、という感覚だけがずっとゆいの中に存在するから。どうしてもやりたいことだけど、親の反対を押し切れる自信がないから。

だからゆいは、いつも決断をしてから事後報告をする。

今はこうやってフリーランスだとか、事業立ち上げだとかしています。でも、自分で言うことではないかもしれませんが、もともとはただの優等生でした。学校の中で成績が上位で、部活も勉強もまじめに取り組むような生徒でした。

大学は、偏差値の高いところか国公立にいくのがいいんだと漠然と思っていました。そもそも、大学は進学するものだと思っていました。

いつからかわかりませんが、ゆいはレールの上を歩いている感覚で生きていました。大学は進学するもので、卒業の時には就職するもの。そして、数年後に結婚して子どもを産んで、老後は旦那さんとのんびり余生を楽しむもの。

それが自分の人生として決められたものであり、それが幸せなんだと疑いませんでした。

ただそれは、ゆいが自分で見つけてきたしあわせではなくて、親やまわりの大人たちがいう幸せでした。大学は行く前提で話が進むし、偏差値が高い所や医学部を勧められる。そういうところにいくのがいいんだなって漠然と思っていました。

ゆいが、子育て支援に目が向くようになったのは大学に進学してからです。自分の過去を振り返って、自分がいかにピエロのように生きてきたのかを実感してから。

ずっと、子どもに関わりたい気持ちはあったけど、家庭に目が向くことはこれまでなくて。でも、家庭を変えないと子どもたちの環境は変わっていかないって思いました。それは、自分がピエロのように生きてきたのは、親にも少なからず要因があると思ったから。

「かしこい」「テストの点がいい」という部分の評価がされていることを日々感じていて、それが親に求められる自分の姿なんだと思って疑わなくて。いつの間にか、親が望む自分であることを追いかけ続けていました。

だからゆいは、親から子どもたちが生きる環境を変えたいと思いました。親を変えないと、子どもたちが自分らしく笑えない気がしたから。ゆいは、ピエロの仮面を被って笑っている感覚だったから。

きっと、それぞれ自分の親を見て、真似したいところと反面教師にしたいところがあると思います。でも、好きなところを真似して、反面教師にして自分の理想の親になったとしても、子どもは何かしらのしがらみを感じて生きるし、きっと私たちはいつか老害になる。

ただ、勘違いしてほしくなくて。ゆいが言いたいのは、親が与える影響が大きいから慎重にならないといけないとか、正しい方法を探さないといけないとか、そういうことじゃないんですよね。

だって、ゆいは親にすごく愛されて、幸せになってほしいって願ってもらっていたんだと今なら素直に思えるから。弟ばっかり、って思ってた時期もあったけど、ゆいのことも同じように愛してくれてたって、今ならよくわかるから。

ただ育児をするうえで大切なのは、自分と子どもじゃ生きる世界が少なくとも20年違うということ。20年という時間は、世の中の当たり前を大きく変えてしまうということ。

ゆいが産まれたのが26ー7年前。自分の親が大学生だったころは大体35年くらい前。

その頃の世の中って、バブル真っ只中で、経済はまわっていた。大学への進学率が上がってきて、大手企業への就職は安泰への道だった。そもそもパソコンもこんな手軽に持ち運べなかっただろうし、家にネット環境がある家庭だって限られていた。携帯電話も、ガラケーどころかポケベルの時代だったかもしれない。

きっと、ゆいの世代が親やまわりの大人から受けてきた教育はこういう感じ。大学に行くのがいいよ、大手とか公務員とかが安定してるよ、って。でもわたしたちは、別に大学がすべてじゃないし、大手でもリストラされる。公務員も安定はしてるけど仕事が大変、みたいな当たり前が存在して。

同じ働くなら、大人数の中の一人で会社の駒になるより、ベンチャーとかスタートアップとかの少数精鋭の企業で社会の役に立ちたかったり、フリーランスで自分のスキルを武器に闘ってみたかったり、自分で何かを興してみたかったりする。別に出勤の必要がなくなれば、在宅で仕事だってできる。

なぜなら、ネットが当たり前になり、いろんな人とつながれるようになり。そして、「あなたは何がしたいの?」と問われる時代に変化したから。「個人」に目を向けて働き方を考えられる時代になったから。

ゆいは、親やまわりの大人から感じていたレールは、きっと親世代では心から幸せで、心から安心できる道だったんじゃないかなって思っています。それを多くの人が目指していたもの。

そしてもしかしたら、自分の親にかけてほしかった言葉なのかもしれない。

自分の子どもを愛していない親なんて、この世の中にはほとんど存在しないから。ただ、親が届けたい愛を子どもが愛として受け取ることができていないだけ。それは、受け取れるカタチに変換できない親が悪いわけでも、親からの愛を受け止められない子どもが悪いわけでもない。

ただ、時代が変化していくからこそ、自分がしてほしかったことだけをしていても子どもが生きる時代とは少し離れてしまう気がしています。だからこそゆいは、これから先の未来で何が求められるのかを見極めていきたいし、時代の変化に応じて、柔軟に対応できる育児がしたい。

きっと、ゆいがかけてほしかった言葉をかけるだけでも、ゆいがやってみたかったことをするだけでも足りない気がしているから。もう一歩先で何かを届けてあげられることが、その先を見続けられることが、ゆいができる娘への最大級の愛だと思っているから。

ただ忘れちゃいけないのは、20年以上先の未来なんて誰にも分らないということ。予測していた変化は起こらないかもしれない。思っていたような育児はできないかもしれない。

でも、できなかったらできなかったでそれでも仕方がない。その自分を責める必要は一ミリも存在しない。

だって、考えつづけていることが愛だから。幸せになってほしいと願っていることこそが、親から子どもへ送ることのできる無償の愛だから。

だからあと必要なのは、「自分が届けたいものが正しいんだ」と子どもに押し付けるんじゃなくて、子どもと一緒に正解をつくっていくことだけ。だって、生きてる世界の当たり前が変化するから。正解なんてないからこそ、一緒に正解をつくっていく。

4年育児しててもいまだに「あーうまくいかないなぁ」と思うことばっかりです。育児と保育の違いもすごく感じる。ただ、その度に娘とゆっくり話すことを大事にしています。

余裕がないとき耳を傾けられなかったりもするけど、よくなかったなと思ったらすぐ仕事や家事の手を止めて娘に向き合う。何を感じ、何を訴えているのかにできる限り耳を傾ける。そうやってゆいはきっと、ちょっとずつママになっていっているんだと思います。

いくら10か月お腹に子どもがいたとしても、そんな簡単にイメージしてた親になることはできなくて、理想の育児なんてできるわけなくて。ただ、最低限のことは生活の中でこなすことができるだけ。

だから、それ以上はゆっくり変化していくしかない。ただ、自分の理想を押し付ける時代遅れの育児じゃなくて、ちゃんと目の前の子どもが生きる未来に目を向けた育児ができるように。そして家族で仲睦まじく笑っていられるように。

ゆいのpaletteでゆいの彩を、誰かのpaletteで誰かの彩を。

そして、そのふたつの彩を混ぜ合わせられるco-paletteを。

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