こんにちは、ゆいです。
今日はどんな一日だったでしょうか。
ゆいは、数日前からちょっと沈み気味の日常を送っています。
すべてを見失って何もしなくなる、みたいなことはないので人生は進み続けているし、未来も真っ暗、みたいな感じではないんですけどね。
いまだってブログを書いているし、明日の予定のことを考えているし。
未来に向かって亀みたいに遅いかもしれないけど、ちょっとずつ進んでいる、つもり。
他者から見たらどう見える人生なのかは分かりませんが。
最近は3月の合宿のことを考え続けながら、いろんな女の子とをかかわる時間を増やし続けています。
昨日はある女の子と一緒に映画を見てそのあと5時間語りまくっていました。
5時間ほぼ恋愛の話でしたが、こんなに気が合うのか!と思うくらい話が盛り上がりました。
たぶんあと5時間は話せていたと思います。笑
恋バナという感じではなく、恋愛観とかパートナーとはみたいな議論をしていましたが。
次の女子会には呼んでくださいーって帰りに声をかけてくれました。
同い年の友達は、同棲や結婚やと話が進んでいるみたいです。
価値観のすり合わせって難しいよね、と言っていました。
「後悔のない結婚」というものを目指すからこそ、離婚のない社会がいいなと思うからこそ、価値観をすり合わせるってめっちゃ大事だと思っていて。
価値観なんて不一致で当たり前で、別の人間でバックグラウンドも違うからこそ一致するわけなくて。
人間関係を良好にするために必要なのは、自己理解と譲れない部分の言語化とすり合わせだと思っています。
それができないと、一緒には生きていけない。
パートナーとか恋人、結婚相手とかだけじゃなく、友達とか仕事仲間とかビジネスパートナーとかにも言えることだと思っています。
だからこそ、自己理解と自分の譲れない部分の言語化をできる人が増えてほしいと思っているし、そこに対する確信は消えない。
でもなんか、久しぶりに沈んでいるなぁっていう感覚です。
目指しているものに対する確信は消えないし、絶対いいものだと思うのに、漠然とした情けなさと悲しさでいっぱいになる。
自分って何してるんだろうなぁみたいな感覚で、夜になると涙が止まらなくなる。
二日くらいは夜全然寝られない感じの日々を送っています。
それでもやりたいと思えるものがあるから、進むしかないんですよね。
自分が目指していることも、自分がしたいと思うことも、今は信じられるものがいっぱいあります。
昔は、それがあることがしんどいと思っていました、楽しさや面白さを知ってしまったがゆえに逃げられなかったから。
でも今は、逃げたいとは思わないからこそ、つなぎとめてくれるものがあることに喜びを感じられる。
ここまで思えるものに出会えて、ほんとに幸せだと思うし、出会わせてくれた周りの人間には感謝でいっぱいです。
ただ、ほんとに今はしんどくて、すごく沈んでるし、何をしているんだろうとか思う感情でいっぱいになっています。
「ゆいちゃんは変わってるよ、いい感じ」と伝えてくれるビジネスパートナー。
「ゆいさんと一緒にしたいと思う理由」を語ってくれる後輩ちゃん。
日々ほんとに幸せだな、と思いながら生きています。
幸せだなと思うからこそ、何もない自分がすごく悲しくなるし、今の自分に何ができるのかがわからなくなって苦しくなる。
最近ね、毎日がめっちゃ長いんですよ。
時間軸が長い分変化量は存在するのにめっちゃ傾斜が緩い感覚があります。
成長していないな、と思った結果すごい焦りの感情でいっぱいになってきています。
「人生に本気になる」って自分で決めて、そんな人生を生きる人が増えてほしいって伝えているのにもかかわらず、ゆいは本気なのか?って見失う。
そもそも、育児も本気で自己実現にも本気ってなんなんでしょうか。
ゆいなりにできることを探してきたつもりだったけど、何をしてきたのかなという感覚です。
判断軸は自分がもっていたらいいのに、「進んでいるよ」「頑張ってるよ」っていうポジティブな声だけを聞いていたらいいのに。
他者軸で、誰かからの評価を気にして、他人の声に惑わされる自分がいます。
焦っていたり、余裕が無かったりするときほど、そんな嫌いな自分が見え隠れする。
お昼寝を嫌がる娘に、かまってほしくて仕事中にかまちょしてくる娘に、八つ当たりをしてしまいました。
こんなママでいたいわけじゃないのに、全然自分の思い描いているママで履いてあげられない。
いっぱい我慢させて、いっぱいさみしい想いをさせてるんだと思います。
自分の人生にも本気になれず、ママとしても自分の理想のママではいられず。
ほんとに負のループっていう感覚です、ここまで落ちてるのはほんとに久しぶり。
でも、この人生を生きると決めたのはゆいだし、誰かに何を言われようがゆいなりの人生を生きるしかないっていうのも頭では理解していて。
じゃあ「本気」ってそもそもなんなんだろう、っていうのを考えていました。
ゆいが普段他の人たちに伝える定義は、5年後10年後に「この人生でよかった」といえるかどうか。
今のゆいが選んでいる道が、「この人生でよかった」といえる道なのかどうかは正直わかりません。
娘にはさみしい思いをさせているだろうし、このまま進んで成功するかどうかもわからない。
でもなぜか、ゆいの近くにいる人はゆい以上にゆいのことを信じてくれています。
「この1年無双しそう」って言われたり「ゆいは成功すると思うけどね」って言われたり。
大学の友達にまでいわれるからほんとに理由はよくわからないですが。
他者軸で、他人の言葉を信じて進み続けるから、すぐ不安定になるんだろうなと思いました。
「いい感じだよ」という言葉でポジティブになれるし「そんなの自分勝手」という言葉で簡単にネガティブになる。
進んでいるんだ、って自分自身で感じられたら、もうちょっと生きやすくなるのに、そんなうまくいかない。
ゆいの性格上、ただ生きていても持てる感覚ではないので、そんな自分になれる方法を探すところから。
後輩ちゃんは「ゆいさんはすごいんだよってゆいさんに言いたい」って言ってくれました。
こんなすてきな子たちに囲まれてていいのか?という感覚は拭えません。
時間を奪うのも、何かしてもらうのも申し訳なくなる瞬間が存在する。
ビジネスパートナーにもよく抱いていた感情ですが「自分がいなくなればいいんじゃないのか」みたいな感覚が襲ってくる瞬間があります。
そうしたら、目の前のひとの時間もリソースも奪わなくて済むのにって。
そのほうが、大事な人たちは笑ってくれるんじゃないかなって。
でも、きっとそういうことじゃないのも理解しているし、時間やリソースをもらう分、ちゃんとリターンを返す覚悟を決めないといけない。
返せるかな、と不安になるんじゃなくて、もらった分以上のものを返すしかない。
よわっちいな、と思う瞬間でいっぱいです。
一緒にしたい、といってくれているのにずっとこんなんで、情けなくて、このブログを書いている今も涙がこぼれてきます。
がんばってるよ、という周りの言葉にゆいは甘えているのかもしれない。
それでも「やめる」という意思決定はしたくないし、できない。
今の環境が大好きだし、追いかけるものがある人生が幸せだって知っているから。
ちょっとしんどくて、泣き言みたいなブログになりましたが、等身大のゆいの姿です。
「見限られるかもしれない」みたいな漠然とした不安を久しぶりに感じました。
周りにいる人はそんな人じゃないというのは百も承知なのですが。笑
これも甘えかもしれませんが、そんなゆいだから救える人がいたらいいなと思っています。
自信なんてなくて、自分の意見も何もなくただ周りに合わせて生きてきたゆいだから。
何もないけど、ママも自己実現も諦められないと追いかけているゆいだから。
だからできることを探して生きていけたらいいなと思います。
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