こんにちは、ゆいです。
今日はどんな一日だったでしょうか。
昨日いろんなことを考えていたらいつの間にか一日が終わっていて、きづいたら更新を逃してました、笑
最近ほんとに暑くなってきましたね、外に出るのが憂鬱になってきました。
娘の保育園の送り迎えで使う自転車がほんとにきつい。
できる限り車でお迎えに行くことが増えてきました、まじで運転する時間増えました、笑
この前みんなでDIYをしていたんですけど、それも暑すぎて暑すぎて、、、
湿度が下がったらいいのになぁ、と思いながら、夏だなぁ、って感じ。
週末には、近所の大きなお祭りがありました。
去年は近くまで娘を連れて行ったんですけど、今年は暑かったのもあって家から花火だけ。
娘はお昼寝が少なかったので、フィナーレのあたりで力尽きてました。
せっかくなら最後まで起きれてたらよかったんだけど、ちょっと残念。
でも、「ハートだ」とか「にこちゃん!」とか言いながら楽しそうにしていたのでそれでいいかな。
最近毎日がすごく長いような、短いような、そんな感覚です。
やりたいことがいっぱいあるけど、やらなきゃいけないこともいっぱい。考えることも盛りだくさん。
あっという間に毎日時間が過ぎていくなぁ、と思いながら生きています。
ただ、この1週間の体感はめっちゃ長かった、笑
先週末がお泊り会だったのか、という気分です、いろんなことがあった一週間でした。
女子会もこれからどんな風に進めていこうかなぁ、と思いながらちょっとずつ形作っている感じです。
ひとりじゃ浮かばないアイデアも、メンバーと話をしているから言語化がすすみ解像感が上がっていく。
昨日も、どっちを選ぼうかな~ってなやんだところで後輩に電話して一緒に考えていました。
ひとりで悶々と考えていても出ない答えも、誰かと話していたらいつの間にか見つかっていたりする。
今の定義で抑え込もうとしてしまう瞬間があるけど、一旦客観視する余裕が生まれる。
また一つ、プリキュアを増やす、の可能性が拡がりそうです。
ゆいだけじゃ絶対に見ることのできない景色を見せてくれるメンバーたちにはいつも感謝ばかり。
着想系はほんとに弱いからこそ、いろんな世界の切り取り方に、視点の向け方にワクワクしてしまう。
本当にみんなすてきだなと思っていて、なんでみんなこんなにもゆいのことを愛してくれるのかわからんなって思っています。
素敵なひとで溢れているこの世の中で、ゆいと出会ってくれて、ゆいについていきたいといってくれることに感謝しかない。
だからこそゆいも本気でみんなに返したいと思える。
夏休み中の動きもほぼ決まり、あとは目の前にあるやることを淡々とこなしていくだけ。
ただこれが「だけ」といえないのが難しいんですけど。
やりたいことのためにやらなきゃいけないことが無限にあるのが最近です。
朝保育園に送ってかえってきてからお迎えに行くまで、そして、娘が寝てから自分が寝るまで。
自由に使える時間のほぼすべてが最近パソコンと向かい合わせで生きている気がします。
もしくは、誰かと話してたりとか、この前はちょっとDIYしてたけど。
ただ、この約6年間ずっと追いかけてきたものがちょっとずつカタチになっていくようなそんな感覚を秘めていると思っていて。
自分でつくっているものはやっぱり大切だなと思うし、これをカタチにしたいと思える。
ただそれだけじゃなくて、一緒にこれやるよ、って言われるものも、すごくワクワクして叶えたいと思える。
自分の人生として、どうしても叶えたいと思えるものがあるのももちろん幸せ、幸せなんですけど。
ゆい個人としては、どうしてもこの人のつくりたいものを一緒につくってみたい、と思える人がいることが、そう思えるものがあるものが、すごく幸せです。
最近また新たに、ついていってみたいな、何か一緒につくり上げてみたいな、と思える人に出会いました。
その人は、同じような価値観を持ちながら自分でちゃんと仕事をつくっているバリキャリママさん。
その生き方がすごくかっこいいと思ったし、この人が新しいものをつくる瞬間を隣で見てみたい、と直感で感じた人でした。
自分だけじゃ手の届かないところまで手を届かせてくれそうな人。
もうひとつ、ずっと叶えたかった夢を叶えられるかもしれません。
あとは自分がどれだけ頑張れるか、本気になれるか。
まじで忙しすぎて余裕ないのが最近なんですけど、断ることのできないオファーをもらいました。
ちょっとずつ自分じゃなくてもいい部分を誰かに任せながら、やりたいことを全部叶えていくために進んでいきたい。
いつだったか、「諦めなければ成功する確率は1」と教えてもらったことがあります。
まぁ理論上はね、そうなるよね、わかるわかる、となんとなく流していた当時、もう4年前とか。
あきらめなくても叶わないかもしれないやん、とかどこかで漠然と考えていました。
ただ、どうしてもゆいの中で譲れない夢があって、どうしても叶えたいものがあった。
思い続けてただけじゃ叶わなかったかもしれないけど、ちゃんとずっと言葉にし続けてきたおかげで、また一歩夢が現実に近づいた感覚があります。
わからないけど、これまでよりは絶対に成功に近づいた。
この数週間めちゃくちゃ不思議なことが日常の中で起こりまくってるんですよね。
なんでこんなにもいろんなものが重なるんだろう、と思うくらいには、変な現象に囲まれて生きています。
ただその中で気づいたこともあって。
それは、ゆいは自分の意見を誰かに正面からぶつけられるようになったということ。
何かをまっすぐぶつけたら、まっすぐ返ってくるんですよ、ボールとかと一緒。
ゆいはずっとバレーボールをしてたんですけど、その壁打ちとおんなじ感じ。
まっすぐ打つとまっすぐ自分のところに返ってくる。
まっすぐ自分のところに返ってくるのが嫌で、正面から打たなかったり、そもそも打たないという選択をしたりしていました。
でもちょっとずつ変わってきた。
ちゃんといま自分が考えていることを言葉にできるし、わからんところはわからんといえる。
怒るところはちゃんと怒ることができる、反発することができる。
クッションのようになんでも受け取ろうとしてた、スポンジのようになんでも吸収しようとしていた。
そうしたらゆいが誰かを傷つけることはないから。
誰かを傷つけることがしたくなくて、自分が全部我慢することが正解だと思っていたから。
でもまぁ人間関係ってそういうものじゃないみたいです。
クッションもカバーが破れて中身が飛び出すし、スポンジも水が吸収できなくて水が零れてくる。
同じように、嫌なものはいやだし、傷つくのは傷つくから。我慢できないものが絶対存在する。
最近は誰かに好かれるとか気に入られるとか、どう思われるとか、基本的にどうでもよくなりつつあります。
周りにいてくれる人たちは、よっぽどのことじゃないと離れていかないという確信があるのもたぶん一つの要因だけど。
何があってもあんまり変わらない、お互いがお互いの未来のことを本気で願っているという確信。
あとは、ちゃんと自分は自分らしく生きようと思ったし、自分のことを幸せにできるのは自分だと思えたから。
正解を選ぶんじゃなくて、選んだものを正解にする生き方を教えてもらったから。
ゆいにとっての正解にするためには、譲れない部分がどうしても存在する。
これまでなら譲ってしまうことも多かったけど、ちゃんと地に足をつけて、譲っちゃいけないものは譲らない意思決定ができる。
自分のことを好きになれたのは、こんな風に自慢できる人たちに囲まれているからかなと思いました。
ただそれは、比較して自分にないものを数えてしまう対象じゃなくて。
ゆいにないものを持っていて、その人にないものをゆいがもっているんだなと思える人。
これまでは周りの人間にあって自分にないものばかり見てたけど、今は純粋にお互いのいいところを見ることができる。
だから、周りの大切な人たちと同じように、自分のことも好きになれた。
自分の評価は信じられないけど、大切な人の評価は信じられるから。
何をするのかも大事だけど、同じくらい「誰とするのか」を大事にしたいと思うから。
大切だなと思える人といろんなことに挑戦していけるように。
ゆいのpaletteでゆいの彩を、誰かのpaletteで誰かの彩を。
そして、そのふたつの彩を混ぜ合わせられるco-paletteを。