こんにちは、ゆいです。

今日はどんな一日だったでしょうか。

ゆいは、久しぶりに大阪に向かっています。2週間ぶりくらいかな。

日常に戻ってきたなぁ、という感じです。

普段はSNSとかで出会った人とzoomをしたりもしていて、その日常もこの数日は戻ってきました。

熱が出ていた期間は、座っているのが無理すぎてそれすらもやめていたので。

病み上がりはアドレナリンで動いている感が否めない日もありました。

いつ振りか、頑張ってる、と褒められました、すごくくすぐったかったです。笑

最近は「教育」とか「子ども」みたいな共通のキーワードを持っている人と話をする時間が多いです。

それはゆい自身の最終的に叶えたいものが「子どもたちの純粋無垢な笑顔の拡大」だから。

子どもや、子どもたちがいる教育現場に関わりたいと思う人が、子どもたちの周りの環境をつくっていく大人になっていくと思うので。

その人たちが、一人でも多く自分の彩で人生を彩ってくれたらいいなぁ、と思っています。

ゆいは現場で子どもたちと直接かかわるより、子どもと関わる大人と関わり続けたい。

今日は、ゆいが人生で一番「現場で働きたくない」と思った出来事の話をしようと思います。

先に注意喚起しておきたいのが、そういう現場だけじゃないということ。

あとは、決して現場が嫌いになって離れたいと思ったわけではないということも。

途中で読み終わって「現場やばいやん」という感想は持たないでください。。。

そして、これが現場のすべてではないです、でも、こういう現場があり、こう感じる人がいることも事実ではあります。

ちなみに、ゆいはこの経験の数か月後に「現場もやっぱり捨てがたいな」と思う経験をしています。

それくらい、「場所による」ということです。

デンマークとフィンランドから帰ってきてすぐのこと。

大学が提携している市立の幼稚園にインターンに行きました。

実習とはまた違う形で、小学校のスクールサポーターみたいな感じです。

すごい学生の融通が利く制度で、自分が出勤できる日、できる時間だけ園で働く、という感じでした。

当時のゆいは大学3年生。

ある程度大学で「保育」や「幼児教育」の基礎は勉強していました。

独学で保育士の資格も取ったあと。

大学の授業の中で学び、自分が子どもと関わる中で大事にしたいなと思っていたことが一つ。

それは「否定語を使わない」ということ。

育児をして、ママ垢を使っているとたまに否定語肯定語の話をしているママがいます。

それくらい子どもと関わる中では大事にされていることで。

「廊下は走らない!」じゃなくて「廊下は歩こうね」っていう、とか。

「落書きしたらだめでしょ」じゃなくて「なんで落書きしたの?どこに書けばよかったかな?」と問いかける、とか。

あくまで一例ですが、こんな感じ。

ちなみに、インターン先とは全く関係ないですが、とある私立の施設では否定語使いまくりの園もありました。

それも、生徒の主体性を育みたい、と自然の中での活動を積極的に取り入れてる施設です。

先生に「否定語って何?そんなの気にしないよ」といわれて友達とふたりで驚愕したのを今でも覚えています。

なぜ、否定語を使わない、といわれているのかというと、わかりやすいのが自己肯定感が低くなるから。

大人でもそうだと思うんですけど、自分の行動を否定されると悲しくなると思うんですよね。

「自分は間違っているんじゃないか」「自分なんか」という思考になりやすい。

人格形成期の子どもたちがずっと否定語を浴びていると、行動じゃなく人格否定と感じて自己肯定感が下がってしまいます。

だから、できるだけ否定することはしない。

あともう一つ、ちょっと見えにくいけど大事だなと思うのが、子どもたちのその後の行動がわかりやすいから。

「廊下は走らない!」といわれたら、大人だと「歩かなきゃいけないなぁ」と思うと思うんですよね。

でも、子どもたちはそんなことない場合もあって。

「ならスキップならいいんじゃない?」みたいになる可能性が大いにある。

その結果どうなるかと言いますと。

自分なりに「だめ」といわれたから別の行動をしたのに、また「だめ」といわれる。

次第に自分で考えることをやめていく。

なので、何をしたらいいのかを一緒に考えたり伝えてあげたりすることが大事なんですよね。

否定するだけだと、子どもたちのその後の動きまでサポートできないんです。

では、否定語の話からインターンの話に戻って。

そのインターン先の園は、子どもたちに対してずっと否定語を使っている、というわけではありませんでした。

むしろ、子どもたちの興味関心が育まれるように、って考えて環境をつくっている園だった印象があります。

園長先生の方針も聞いたことがあったのですが、すごく子どもたちのことを考えて、自然と活動の中から好奇心の向く方向を大事にしたいという園でした。

めっちゃ魅力的。

じゃあなぜこの園でインターンをしてて現場で働かないなと思ったかというと。

先生同士の会話が子どもたちの前でするものじゃないでしょ、と思ってしまったから。

ちょうど運動会のシーズンで、あと2週間とかでバタバタしてたのもわかるんですけど。

子どもたちの練習の途中に、先生同士の会話で説教が始まる、みたいな感じ。

事前に共有していない状況にも、子どもたちの前でそれを展開する思考にも呆れとあきらめがあって。

自分はこの場所で子どもたちと関わりたくはないなぁ、と思いました。

ただ、先生たちが嫌いになったわけではなくて。園の先生なんて、と思ったわけでも無くて。

この先生たちを救いたい、が一番強かったです。

先生たちは個別に話を聞いたらめちゃくちゃ子どもたちのこと考えてるんですよ。

大学の友達もそうで、自分が現場外を考えたきっかけでもあるんですけど。

幼児教育に関心がある先生で、子どものことが嫌いな人はひとりもいない。

ただ、自分の思っているような保育をできなくて悔しがっている。

その結果が、子どもたちの前で先生から別の先生への説教に繋がる。

説教までいかなくとも、なんかギスギスした空気感を子どもたちに感じさせることに繋がる。

そしてその先に、子どもたちの純粋無垢な笑顔の拡大は存在しない。

だからゆいは、直接子どもたちに関わる人であるのではなくて、先生や周りの大人を介して間接的に子どもに関わる人であろうと思っています。

ゆいもたぶん、今の現場に入ったら誰かの価値観に染められて、自分の理想の教育はできない気がするから。

自分の彩を確立させて人生を彩れる人を増やしたい。

そんな風に自分の彩を大事にして、子どもたちと関わる人たちを増やしたい。

ゆいが直接かかわるより、間接的にかかわるほうが救える子どもたちの数も段違いに多いし。

そんな風に、自分は現場じゃない方法で子どもたちの笑顔を拡げたいなと確信した瞬間でした。

今も直接じゃなくて、間接的にかかわっているのはこの経験が大きいです。

現場の良さを感じても、やっぱり自分の軸をもって生きてる大人を増やしたい、に戻ってくる。

周りの環境や人間関係によって消えてしまう誰かの「想い」がひとつでも多くカタチになったらいいな。

そんなことを思うきっかけになった出来事でした。

今日もありがとうございました。

明日も今日よりも素敵な一日でありますように。

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