こんにちは、ゆいです。
今日はどんな一日だったでしょうか。
ゆいは昨日が投稿日のことを完全に忘れていました。
自分のスケジュールに曜日感覚がないことが原因ですね。
母の仕事で曜日感覚を保っていると、祝日の場合に完全にミスります。笑
気づいたのは、月曜日の夜21時頃。
というわけで、一日ズレての投稿にすることにしました。
木曜日からは通常の流れに戻ります、すいません。。
昨日は家族の時間を過ごしていました。
家族としての一員としての自分、娘のママとしての自分もすごく大事にしたくて。
ただ、ゆいの中で大事にしているつもりでも、自分の理想のママではいられません。
もっと余裕のあるママでいたいのに、何かに追われて余裕のない日々を送っています。
追われているものはゆいの予定だったり、「親としてこうしなきゃ」という責任感だったり。
もうちょっと肩の荷を下ろして、楽に育児ができたらいいんでしょうけどね。
そんな風にもいかないわけです、難しい。
自分なりに大事にしたいことが交わって矛盾する日々です。
もっとゆっくり時間をとりたいし、余裕を持ちたいけど、時間は限られていて。
自分のために使いたい時間とか、仕事の期限とか、普通にミーティングの時間とか。
そういうもので、ママとしてゆいがもっていたい余裕を持てない。
ゆいが目指しているのは、ママとしても自分としても理想の自分であること。
こんなママでいたいな、っていうのと、こんな自分でいたいな、というのを大事にすることを目指しています。
でもこの前ある女の子にある質問をされました。
「こんなママでありたい、は、こんな自分でありたい、に含まれないんですか?」
正直、ちょっと一瞬ひるみました。
というか、ゆいなりの考えを言語化しきれていなかったなと思って。
もちろんゆいは二軸だとは思っていて、その表現がずれている認識はないんですけど。
ただ、今のゆいの言語化は不十分だなっていう感覚でした。
まだまだ自分が追い求めているものも、自分が目指しているものも全然言語化できていない。
自分としてどうありたいのか、という表現をすると、そりゃママとしての軸も含まれますよね。笑
だって、ママである自分も自分ではあるから。
もちろんそれはゆいもわかってるし、何ならゆいの中ではママとしての理想の生き方が自分としての理想の生き方の一部になっています。
自分のやりたいことをして、心から人生を楽しんでいるママでありたいから、仕事も本気でする、って感じ。
まぁ人間だから、そこまで完全に分けられるものじゃないのも事実なんですよ。
なぜゆいは「二軸」という表現をするのか。
それは、もちろん重なる部分はあるけど、矛盾する部分が存在していることを知っているから。
ママとしては、どんなママでありたいか、家族の一員としてどんな人でありたいのか。
自分としては、どんな社会課題を解決したいのか、どんな人を救いたいのか。
ゆいは、ずっと自分としての自己実現を追いかける学生生活を送っていました。
「教育」というキーワードで学生団体に所属したり、「誰かの想いを引き出す」という文脈でNPO法人に関わったり。
そのために休学もして、自分のやりたいことを見つめなおす時間をつくりました。
今でもそうで。
育児をしながら、こうやってブログを書いているのも、イベントを企画するのも、誰かの自己実現に向き合うのも。
全部全部、「自分が成し遂げたいこと」なんですよね。
そんなゆいが娘を産んでママになって新しく感じたのが、「ママとしての自己実現」でした。
娘といる時間は何を大事にしたいのか、どんなことを感じながら成長してほしいのか、ゆいはどういう存在でいたいのか。
一緒にいる時間を大事にしたい、ゆいみたいに家族といる時間に仮面を被っていると感じさせるままではありたくない。
なんでも話せるような、話したいと思ってもらえるようなママでありたい。
でも、ずっと追いかけていたゆいのつくりたい世界や解決したい社会課題もある。
一緒に仕事がしたいと思う人たちがいて、一緒に笑っていたいと思える人がいる。
実際、結構しんどい時期が多かったです。
ゆいの周りには、自分のためだけに時間を使える若者たちがたくさんいて。
自分の好きなことや、自分の仕事に時間を使える。
つくりたいサービスに、救いたいターゲットに、ありったけの時間を使って自己実現に動ける。
じゃあ自分はどうなの?と思うとそんなことなくて。
毎日の家事に追われ、娘の育児に追われ。
もっと時間を使いたいと思っても思うように時間を確保できず。
娘を産んだことやママになったことを後悔することはないんですけどね、でも周りのみんながうらやましくなる瞬間は存在する。
なんで自分だけ?って何度自分に問いかけたかわかりません。
でもそれは自分が選んだんでしょ、って何度も自分を奮い立たせてきました。
自分として成し遂げたいものに使いたい時間があり、ママとして家族に使いたい時間が存在する。
だから、両方を追いかける人生を目指すのは、矛盾を持ち合わせている。
ゆいみたいにフリーで仕事をしていなくても、女性はママになるだけで働き方が一変します。
時短勤務になったり、子どもの発熱で有休をとるようになったり、子どもがいるからと出張がなくなったり。
そうやって、ちょーっとずつ自分の時間が減っていく感覚や、自分が周りと同じように、これまでの自分と同じように働けない状況を痛感する人が多いと思います。
ほんとはあの新規事業に関わりたいのに、育児があるから残業とか大変でしょ、って外されたり。
昔だったら自分が同行していたはずに出張に、泊りはできないよね、って別の人が任命されたり。
もちろんできない範囲は存在するし、時間に制限があることに変わりはない。
でも、その二軸を両方追いかける生き方ができてもいいんじゃないのか。
ちょっと言っていることに矛盾があると思うんですけどね。
だって、できなことは存在するから。
時間が限られるのも、行動範囲が限られるのも事実。子どもが好きで向き合いたいと思えば思うほど、自分の時間は限られていく。
だからこそ、限られた時間の中で、限られた範囲の中で自分のやりたいことを追いかける生き方をする必要がある。
ゆいの二軸はそういう意味です。
いわゆるバリバリのキャリアウーマンと、子育ての両立ってほんとに難しい。
どっちも時間を100%注ぎ込める人たちがこの世の中には存在します。
そういう人たちを見て「自分は足りてない」と思う場面が出てくる。
でも、実際両方を追いかけるなら、両方ともに100%の時間は絶対に使えない。
子どもをいつでも見ててくれる実家とか場所が存在して、子どものことが脳裏によぎらないならできるかもしれませんが。
でも、そんな無関心になれる人が今の時代に子どもをも生む意味って何?と思ってしまう。
子育て支援も不十分だし、子どもを産めば貧乏になるといわれるからこそ。
育児をしようと思うのは、子どもが好きで、子育てをすることにあこがれを持っている人なんじゃないのかな。
でも、ママには育児だけじゃなく、子どもや家族のためだけじゃなく、自分のためも時間を使ってほしい。
だって、ママはママである前にひとりの女性でひとりの人間だから。
そして、心から自分の人生を楽しんでいるママの下で、子どもたちには成長していってほしい。
二軸で分けて考えるのは、一つで考えると必然的に妥協してしまう可能性が高いからです。
やっぱりママだから時短勤務だよね、とか、キャリア追いかけたいから保育園終わったあとも夜遅くまで実家に見ていてもらおうか、とか、子どもといる時間はまぁそれくらいになっちゃうよね、とか。
でもそうじゃなくて。
ママとしてどうありたいのか、自分として何を目指すかを分けて言語化することがすごく大事だと思っています。
その上で、「譲れないもの」と「譲ってもいいもの」を考えてみたり、時間や行動量でバランスをとってみたり。
結局「自分」という一人の人間に集約されるけど、まずは、二つの側面で自分の理想を言葉にしていく。
相反する想いを持っている自分を受け入れながら、それを含めて5年後10年後の自分の理想状態を言語化してカタチにしていく。
そんな風に生きられる女の子が増えたらいいなぁ、と思う今日この頃。
自分自身として成し遂げたい想いがあって、でも育児もしてみたい女の子はぜひ一度お話してみたいです!
公式LINEでは、それぞれの人の理想の生き方を見つけられるような話を個別でしたいなと思っています。
自分個人の理想と、家族の一員としての理想と。
別にそれは、将来結婚したいとか、子どもが欲しいとかだけじゃなく、親との関係とかにも転用できると思っていて。
ゆい自身も親との関係に悩みながら模索しているので、そういう人とも話せたらいいな。
気になる方は気軽にLINEを追加してみてください!