こんにちは、ゆいです。
今日はどんな一日だったでしょうか。
ゆいは、実は昨日が誕生日でした。25歳になりました。
もう四半世紀も生きてるみたいです、実感は全くない。
最近いろんなところに書いていますが、今が人生一番だと思える人生を生きられるようになりました。
自己肯定感が低く、過去にとらわれてばかりだったゆいだったのですが、大きな変化です。
信じて一緒にいてくれる人に感謝をする毎日です。
そして、未来の自分と娘の人生にワクワクする日々。
25歳という節目は、ゆいに大きな影響をもたらしてくれました。
気になる人は前回のブログを読んでみてください。
それかこのnote。1年じゃなく25年の振り返りをしました。
冗談抜きでバカみたいに長いです。でもこっちのほうがちゃんと言葉になっている感覚があるので、ぜひ。
さて、年内の投稿もラスト2回になりました。28日はお休みします。
あと月曜日に書いたら、そのあとは4日かなぁ、8日かなぁ。
まだ決めていません。ちょっとほかのスケジュールとも調整しつつ。笑
5月から始めたので、今でもう8か月が経過しようとしています。
このブログをやると決めたときのことはすごくよく覚えています。
今日は年内の締めということで、時系列としては前後してしまいますが、このco-paletteの誕生について話そうと思います。
たぶんブログの話が出たのが、3月か4月。
離婚が成立して、大学も卒業して、さぁこれからどうしようか、という局面。
当時のゆいは、絶賛鬱状態でした。
話し相手のシェアハウスにいたのですが、そこにいた子と自己紹介して、といわれても涙が出てきてうまく言葉が出てこない。
信頼している相手にも、自分がやりたいことを言葉にできない。
言葉にする前に涙が出てくる。
完全に対人関係にトラウマを持っていました。
父親には「男性恐怖症になってないか?」と聞かれたことがありましたが、それは全くなくて。
男女の差はないというか、結果助けてくれた人たちの中に男性も多かったから「男の人が怖い」という感覚はありませんでした。
ただ、対人関係の中で自分の話をする、という部分に対してトラウマがありました。
たまに出てくる自分の表現に、言葉に、この時のトラウマが残っているな、と思う場面もありますが、基本的にはなくなりました。
最近振り返りをしていて思いますが、この状態から約半年でよく復帰したなと思います、笑
改めて、co-paletteは何を目指しているのか。
colar-palette。
絵の具とかの彩をつくるパレットです。アイコンもそれです。
ゆいの中でずっと大事にしたいものがありました。
「声にならないこえを聴く」という理念と「おはなばたけを拡げる」という将来の社会像。
これは、何をしていようがゆいの根底にあるものたちです。
この場はゆいの彩をつくっていくパレットです。
このパレットを通して、ゆいの彩をいろんな人に伝えていく、そんな場にしたいなと思っていました。
少しずつ、自分の考えを発信していくことに対する抵抗感は減ってきました。
たまに投稿日のことを忘れてその日を過ごし、慌てて次の日に後悔することはありますが。笑
書きたくない、書けない、と手が止まることはなくなりました。
実はね、ちょっとしたリハビリでした。
昔元旦那にブログの内容に対して怒られたことがあって。
個人ブログってその人の価値観で話していいと思うけど、それが叶わなくなっていった。
ほんとは書きたいことがあるのに、あとで読む元旦那の意見が怖くてかけなくて。
いつしか、仮面を被ったいい夫婦のように、家族の中のいいことしか書けなくなっていました。
ゆいの中の葛藤も、夫婦間の衝突も、ゆい目線ではあるけど事実だから。
それを伝えられたらいいかなと思っていたけど、かなわなくなっていた当時のブログはいつしか意味を持たなくなっていました。
このまま続ける意味ってなんなんだろう、と自分に問うた時間があって。
作り物の夫婦を、作り物の幸せを投稿するブログに意味がないなと思ってやめました。
もう更新することはないと思いますが、いまだに残っています。
ちなみに、ゆいの意図としては別にめちゃくちゃ文句を書いていたわけじゃないんですけどね。
事実として、うまくいかないすれ違いを残しているつもりでした。
まぁ、価値観が違う、ってそういうところから現れていたのかもしれないです。
本題からそれましたが。
だから、ブログってすごく怖かったんですよ。
文章を書くのは好きだし、ゆいの言葉には感情が乗っていていいと思うよ、ゆいちゃんの言葉には人を動かす力があるよ、と言葉をもらったこともあって。
自分なりに大事にしたい発信手段でした。
いまだにTwitterを使うのもそういう理由です、文章で話すのが好きだから。
そして、co-paletteにはもう一つの意味があります。
誰かと一緒に使えるパレットでありたい、誰かの彩をつくれるパレットでありたい。
どこまでいってもゆいは、自分だけが幸せでいいわけじゃないんですよ。
自分が自分らしく生きられていたらいいわけじゃない。
すべての人が、自分の彩を見つけて、自分の彩の花を咲かせることがゆいの幸せなんですよね。
だからこそ、この場が何か自分の彩を見つけるヒントになったらいいな、とか、この場をきっかけに挑戦できる人が増えたらいいな、とか思っています。
こんな想いをもって始めたのが、このブログでした。
ちなみに90記事目。年明けには100記事を突破しますね。
長かったような、あっという間だったようなそんな感覚があります。
淡々と続けてきて思ったこと。
それは、考えていることを言葉で伝え続けることに意味がある。
いくつかしか読んだことがない人、半分くらいの人、ほぼ全部読んでくれているひと。
そしてもしかしたら、この記事が初めて触れたゆいのブログの人もいるのかもしれない。
大事にする部分は結局似ていくので同じような話をしていることもありますが。
それが大事なんじゃないかな、と最近思っています。
ゆいは、ゆいの伝えたいメッセージが明確になってきました。
それは、何度も何度もブログというかたちで人に伝え続けてきたから。
その中で自分の思考を整理する時間を確保してきたから。
基本的にね、3000字を目安にこのブログは展開されています。
まぁ目安なんで多い時もあれば少ない時もありますが。
だらだら書くんじゃなくて、ちゃんとひとつひとつの言葉を紐解き続ける。
誰もが理解できるような、解釈の入る余地のないような。
ゆいの見えている世界がそのままそのひとの脳内に映し出されたらいいな、と思いながら書いています。
そうしていくうちに、どんどん自分への理解が深まっていく。
なんとなく使っている言葉に込められた想いが、不意に使っている言葉の重要性が。
大事だと思っているものがそんな大事じゃないことだってある。
それに気づけるのは、何度も何度も言語化を繰り返すから。
言語化をサポートできるような生き方がしたいし、なんとなくじゃなく意図をもって言葉を選べる人を増やしたい。
ゆいが何度も「なんで?」と聞いてもらったように、ゆいも誰かに「なんで?」と問い続けたい。
そんなことを来年していきます。
ちなみに来年はちょっと変われる予感がしています。
これまでは人によって見せる顔を少しずつ変えて、本来の自分を隠していることがありました。
でも、その生き方は来年からはやめようと思っています。
ゆいは、ゆいのままでいいと伝えてもらいました。
なので、このブログもありのままのゆいを伝え続けます。気になる人はLINE追加してください。LINEは確実に更新通知入れてます。笑