こんにちは、ゆいです。
今日はどんな一日だったでしょうか。
ゆいは、最近考えていることをある女の子にいっぱい話してきました。
今年に入ってから自分のやりたいことを話す時間が長いのですが、すごく楽しくなってきました。
これまで自分が好きだと思っていた「誰かの目の彩が変わる瞬間」。
いつも、目の前のひとに向き合って、その人が気づいていなかった自分を見つけることでその瞬間をつくってきました。
でも最近はまた別の方法で目の彩が変わる瞬間をつくれているんじゃないかなと思っていて。
ゆいが描く未来が、誰かの新しい気付きになり目の彩を変えている。
自分のことを話すのも人の話を聞くのも好きですが、だれかれ構わず自分の話をするのは嫌いでした。
目の前にいるこの人は、ゆいの話を聞くことに時間を使う意味を感じているのだろうか、と思っていました。
相手の話を聞いて何か発見をつくって価値をつくれる感覚はあっても、ゆいの話をして価値をつくれる感覚はありませんでした。
初対面に自分の話をするのが苦手で、基本的に聞く方に専念していました。
出会って1年以上経つのに、ゆいの話を全然していなかった、みたいなこともありました。
ずっと、ゆいは自分の話をするのが苦手で、嫌いなんだと思っていました。
でもこの前ある人に言われたんですよ。
ゆいちゃんは自分の話するのが好きだし、その時が一番楽しそう。
ずっと一番近くで見てくれていた人からの言葉だったから、すごく衝撃でした。
思い返してみれば、一緒に過ごす時間が増えれば増えるほど、誰かの話を聞きながら気づけば自分の話をしているときが多くて。
でも、それは相手の話からの延長線上だから話せるだけで、そうじゃなかったら話すの苦手なんじゃないのかなと思っていました。
でも最近、ほんとに自分が心から楽しいと思えることを、追いかけたいと思えるものを素直に話せるようになりました。
ここまで本気になれるものに出会えたゆいは幸せ者だなと思っています。
そして、ゆいの夢を話して目の彩を変えてくれる子がいるのも幸せ。
1年前、1年半前の自分じゃ想像できないような人生を生きています。
ただ、これもすべて当時のしんどかった経験があったからだと思っています。
ほんとにきつくて、逃げ出したくて、実際逃げだしてしまった過去がゆいにはあります。
向き合いきれなかったことをすごく後悔したし、もっといい方法がなかったのかすごく悩んだし。
でも、その苦しさがゆいを強くしてくれて、ゆいをここまで連れてきてくれたんだって今なら言えます。
ちょっと重たい話ですが、ゆいを強くしてくれたひとつのきっかけである逃げたときの話をしたいと思います。
今日のブログは書けるところまで書いて公開します、できれば全部書きたいけど。
本題に入ろうとしただけで体が熱くなってくるくらいには、ゆいの中で言葉にするのが難しい過去です。
なので、途中で終わっているかもしれませんが気になる人は最後まで読んでください。
共感性が高すぎる人とかはしんどいかもなので、しんどかったらブラウザバックしてもらっても。
じゃあ本題。
私と元旦那の離婚の原因を一言で表すなら、「価値観の不一致」。これに限ります。
ゆいと元旦那の価値観のズレが見え始めたのは、2021年の10月ごろ。
ちょうど娘が生後半年、結婚して1年が経った頃でした。
ゆいには育児をしながらでも諦められない夢があって、それを追いかけながらママとしても生きていました。
でも、元旦那からしたら慣れなくて不十分な家事育児なのに、夢を追いかけるゆいが許せなかったみたいで。
ずっと、詐欺師かのように扱われていました。きっと元旦那にはそう見えていたんだと思います。
自分が稼いできたお金を、ただ奪っていく人。
実際元旦那のお金を使っていたのは完全に生活費だけで、活動にかかるお金は全部自分の貯金を切り崩しながら使ってたんですけどね。
でも、そんなのゆいがお金の管理をしているからわからなくて、ゆいはずっと搾取をしている人間だったんだと思います。
主催していたイベント中に送られてきた一通のLINE。
2年経った今でも内容を覚えているくらい、個人的には衝撃と絶望がぶつかってくるようなLINEでした。
そんなに自分が間違ったことをしているのか、そんなに否定されないといけないことなのか。
参加者のプレゼン中だったのに涙が止まらず、ひとり見つからない場所で泣いてました。
それでも自分の夢は諦めきれず、どうにかして両立する方法を考え続けていました。
ゆいが一番初めに離婚を考えたのはその年の12月。
もうきっかけなんて覚えていない些細な喧嘩でした、それも私の誕生日?とか。
一緒に選んでくれたのに、「渡したくないけど届いてもったいないからあげる」といわれて渡された誕生日プレゼント。
こんなに胸に穴が開くようなプレゼントをもらったことはありません。
誰かがいる前では最低限の話をするけど、基本的にゆいとは話をしてくれない毎日。
この生活が続くなら、結婚生活を続ける意味はないな、と本気で思っていました。
でも、まだ学生で仕事もしていないゆいには、即断即決で離婚を選ぶことはできませんでした。
結局なんとなく仲直りをして、もしかしたら再構築できるかもしれないと考える毎日。
圧倒的な社会的弱者だったんです、収入のある元旦那にいろんな意思決定を握られていました。
あと、両親に結婚するときに「よっぽどのことがない限り逃げて帰ってくるな」といわれていて。
自分にも非がある、もしかしたら関係改善できるかもしれない、とも思っていたので両親にも相談できませんでした。
大きな喧嘩はこの時くらいで、そこから半年くらいは喧嘩をして仲直りしてを繰り返していました。
些細なことで喧嘩をして、意見を言えば倍以上になってかえってきて。
一週間の内で何日泣いていたんだろうか、というくらい毎日泣いていたときもありました。
もう反論するのも面倒で、いつの間にか向き合うことからゆいは逃げていました。
離婚経験のある大人や結婚している大人が共通の知り合いにいたので、相談したりしていました。
内容は、どうすれば自己実現と夫婦生活をよりよくできるのか、というもの。
ゆいなりに両方を追いかける道を本気で悩んで、うまくいかない部分をどう修正するかを考えていました。
その話を相談に乗ってくださった大人の方が元旦那とも話をしてくれたみたいで。
「好きなだけなんです」と泣いて反省していると連絡をもらいました。
でも、帰ってきて言われたのは「そんなに俺の評判を下げて楽しいか」という言葉。
前向きに一緒にいるために考えて相談しているのに、「評判を下げている」といわれることに衝撃しかなくて、なんでそんな見方しかできなんだろうと悲しくなりました。
そして、誰かの前と自分の目の前にいる元旦那が別人に感じて、何を信じたらいいのかもわからなくなりました。
本格的に離婚を考え始めたのがその年の6月ごろ。
実家にちょっとの間帰省をしていた最終日に、ストレス性の急性胃腸炎になりました。
治まらない腹痛、吐くものもないのに止まらない吐き気。
自宅のトイレで動けなくなってしまい、夜間で病院にいき緊急入院。
1週間帰省を延長して自宅に帰って言われたのが、「俺のほうが先に胃腸炎になっていたからね」の一言。
この時に、もう結婚生活は続けられないなと思いました。
元旦那が1か月くらい前に胃腸炎になっていたのは事実です。
でも、どっちが先だとか、先だからしんどいとか、我慢しているとかないと思っていて。
何も食べられず入院までしている人に「だいじょうぶ?」という言葉が出てこないんだな、と思った時に、もう無理だなと思いました。
そこからは、コツコツと離婚に向けて思考を巡らせていました。
どうしても親権はもらいたかったから、経済面での自立を考えて保育園に預けることを考えたり、今の自分にどんな仕事ができるのかを考えたり。
そんなときに、一番大きな喧嘩を経験しました。
ずっとトラウマで、フラッシュバックが起きていたのはこの時の光景です。
いまでも鮮明に思い出せてしまう一晩でした。
さて、最後まで書いてしまおうかと思ったのですが、ちょっと長くなりすぎてしまうので前後編に分けることにしました。
ちなみにね、全部書いてから分けることにしたので、後編もあらかた書き終わっています。
一応流れとしてすべて言葉にできていて、来週は実際に家を出る意思決定をするまでの話を一気に書きます。
ゆいの中ですごく転機であり、まわりの人間に死ぬほど助けられた数日でした。
恋人と、両親と、兄弟と。同じように大切な存在との関係性で悩む人がいれば、ゆいはいくらでも力になるのでご連絡ください。
大切だからこそ相談しにくいこともあると思いますが、ゆいは完全に他人だし、誰にも流さないので。
明るい話も大歓迎なので、いつでもLINEを追加してご連絡ください~