こんにちは、ゆいです。

今日はどんな一日だったでしょうか。

ゆいは、ちょっとのんびり遊んでいた週末を終えました。

大学生の頃みたいな飲み会をして、親戚で集まってみんなでいろんな話して。

週末を満喫した感じです。

昨日は疲れてたのもあって、久しぶりに日付を超える前に就寝できました。

ここからまた一つ切り替えて年末まで進んでいかないとな、っていう感じです。

ちなみに、シェアハウス計画も順調に進行中です。

来週には内見に行く予定です。

ゆいの理想をちょっとずつカタチにするために動き続けています。

シェアハウス、というか、その先にあるゆいの理想とする「第二の家」は、3年以上前からゆいのビジョンで。

それこそ、娘を妊娠するよりも結婚するよりも前から、ゆいが目指していたもの。

いろんな人と関わり、海外にも行って、現場にもかかわって、

その中で見つけた、ゆいのつくりたい世界。

自分の中で明確にするため、そして、追いかけるために休学もしました。

何か既存にあるものじゃなくて、自分で誰かを笑顔にさせたいと思って。

ずっと、家族も友達も好きだけど素直でいられなくて、ゆいの居場所かといわれたら明言できなくて。

ゆいはずっと誰かに気を遣って、自分の彩を、自分のこえを、気づきながら気づかないふりをして生きていました。

目の前のひとが笑ってくれているのが幸せで、家族がやりたいことが叶えられるのが幸せ。

ゆい自身のことなんて二の次で、どうすればみんなが楽しそうに笑ってくれるか、を考えていました。

そんなゆいも、大学に進学して、友達や出会ってくれた人たちにいろんなことを教えてもらって。

「こんな風に生きたい」「この人がつくる世界を一緒に見たい」

そんな風に自分のやりたいことは誰かのやりたいこと、って感じで生きていました。

就職活動をしていたときもそう、デンマークに行くと決めたときもそう。

誰かのやりたいことを探したい、と思っていました。

それが幸せだと思っていたし、まぁ実際それもゆいの幸せであることには変わりないんですけど。

じゃあなぜそんなゆいは、休学中にママになったのか。

学生ママなんて少数派で、ゆいの周りにも一人もいません。

SNSで繋がったママふたりくらいかな?

いまでも連絡取ったりするのはひとりだけです。

それくらいマイナーな選択肢。

「自分で何か価値をつくりたい」と思っているのならなおさら。

周りほど自分に時間を使えない生活が待っていて、思い通りにいかない日々がある。

実際、娘を産んでからもずっと動いていますが、悩むことは多かったです。

ゆいの周りは大学生か社会人だけど就職せずに自分のやりたいことで動いている人が多くて。

そういうひとは「時間」という資産を持っていて、その資産をフル活用している。

ママになって社会と隔離される、みたいな話がありますが。

ゆいは、周りのおかげで社会との隔離を感じることはないですが、それでもやっぱり自分とまわりとの違いは感じる。

もちろん悩んでいますが、思っていたのと違う!なんでママになったんだろう、、、

となることはないです。

その意思決定をしたことに意味はあると思っているし、納得している。

「誰かのため」じゃなく「自分がどうありたいか」から決めた意思決定でした。

なぜ、ママは自分の人生を生きられないのか。

ゆいの長年の疑問でした。

「女性が自分の人生を生きるのは、結婚前か子育てが落ち着いてから」

「女の子は出産後もいつでも職場復帰できる『資格』を持っておいたほうがいい」

「女の人は育児をするのが仕事だから」

古い考えやん、となるかもしれませんが、実際まだまだこの思考が根強いのは事実だと思っていて。

だって、

「キャリアを積んで戻る場所をつくってから妊娠・産休を経験したい」

とか

「仕事したいから子どもはほしいけど現実的には無理かなと思っている」

とか。

そういうのって、結局「女性は育児をしながらキャリアを追いかけられない」という前提のもとで考えられているもの。

それも、女性自身が自分の可能性をあきらめて、育児を妥協したり、仕事を妥協したりする。

でもね、ママはママである前に一人の人間だし、ママが心から笑っていない家庭では子どもたちは心から笑えない。

うちの家庭は、両親の夫婦喧嘩が絶えない家庭でした。

今でも変わらないですが、昔に比べたら喧嘩は減ったかな。

両親のことを嫌いだとは思っていません、ここまで育ててくれて今も助けてもらっていて感謝しかない。

でも、親として尊敬しているか、そんな親になりたいか、といわれたらNoになる。

それは、すごく居心地が悪い日が多かったから。

よく知る人には、「ゆいちゃんの家はちょっと複雑だから」といわれたこともあります。

何の文脈かはちょっと忘れましたが、「家族ってこういうものだよね」みたいな流れで。

そういうものじゃねぇ、と思ってしまう瞬間があった。

よく「『第二のかぞく』って言いますが、家族関係いい感じなんですか?」と聞かれます。

いいイメージがあるから「かぞく」と表現するんじゃないか。

でも、自分はそんなに家族にいい思い出ないよ、嫌いじゃないけどずっと一緒にいたい人でもない、って人。

ゆいは、かぞくに幻想を追い求めているから、「かぞく」という表現をするんだと思います。

だって、今の両親との関係をつくりたいか、拡げたいのか、といわれたら完全にNoだから。

じゃあそんなゆいが、なぜ結婚して出産をしてリアルの家族を増やすことをしようと思ったのか。

自分の人生を追いかけるためなら、子どもに時間をとられる生活をしないほうがいい。

経済的に自立もしていないから、子どもを育てられる状態でもない。

でも、そんなゆいでも、ママをしながら自分の人生を追いかけられるんじゃないか。

そんなゆいだから、笑ってほしいと思うお母さんたちの笑顔に関われるんじゃないか。

安直なのかもしれないし、脳内お花畑だったのかもしれないです。

実際、何度も言われたことはあります。

何度も言われて、何度も泣いて、何度も悩んで。

でも、娘を産む時の意思決定を後悔したことは一度もないです。

それはなぜか。

自分の中で、なりたい自分がそこにあったから。

自分で事業を立ち上げてから結婚することもできた。

仕事として何かが確立した状態で、家族を増やすこともできた。

でも、それじゃ意味がなくて、誰かと一緒で誰かの希望にはなれなかった。

別にそういう生き方をする人を否定したいわけでは全くありません。

ちなみに、専業主婦を否定する気もなければ、結婚しない意思決定を否定する気もない。

そのひとにとっての幸せなら、それを追いかけられる人生を生きてほしいと思うから。

でも、どこか妥協して意思決定をするのなら。

「ほんとはさ、、、」と思いながら意思決定をするのなら。

どこか諦めて、心から笑えないお母さんが増えるんだったら。

そんなことないんだよ、と思うし、この人が頑張ってるなら、と思ってもらえる存在でありたい。

あとは、ゆいの性格上ママに関わりたいと思っても、ママにならなきゃ関われないから。

「いや経験してないやん」といわれるリスクを犯してまで動けない。

でも、どうしてもお母さんに対する想いが諦められないからこそ、「自分がママになる」という手段を選びました。

今では、「応援してます」とか「自分もいつか仕事しながらママしたい」といってくれる子がいたり。

実は自分も学生ママになるかの転機があって、でもやめちゃって、という暴露をしてくれた子も。

まずはゆい自身が、ママをしながら自分の人生を生きられるような女性でありたい。

そして、ゆいみたいな生き方を目指してくれる女性を勝たせられるような女性になりたい。

今日もありがとうございました。

明日も今日よりも素敵な一日でありますように。

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