こんにちは、ゆいです。
今日はどんな一日だったでしょうか。
GW中に合宿があり、30時間以上ほぼ睡眠なしで走り切った結果、昨日は一日寝てました。笑
起きたときにブログの更新を諦めました、今日からまた日常の再開です。
娘は、4日間保育園に行かなかったのでぐずるかなぁ、と思っていたのですが、超ご機嫌に保育園に向かいました。
いつも園の靴箱前で泣くけど、今日は泣くこともなく。
道中も「保育園楽しい、好き」と話してくれていたので、たぶんほんとに楽しいんだと思います。
めっちゃ悩んだけど、保育園に預ける意思決定をしてよかった。
さて、リニューアルイベントまであと2週間を切りました。
あんまりブログでは公開してこなかったかも、?笑
こんな感じでイベントします、みんなでアイスを食べながら新生活のこととか将来のこととか、友達のことや恋愛のことを話す空間。
この先に目指す社会があります、ゆいのやりたいことがあります。
ヒントはこのシルエットなんですけど、どれくらいわかる人がいるのだろうか、、、
ちなみにゆいはシルエットじゃわかりません。笑
この1か月は、自分の中で思考の期間でした。
企画していたイベントを中止にして、改めて自分が何をしたいのかに本気で向き合った1か月。
足を止めるのも、これまでつくってきたものを壊すのも、すごく怖かったです。
でも、目の前に追われる生き方ではなく、ちゃんと長期を見据えたから見えてきたものがありました。
この期間は自分の人生においてなくてはならない1か月だったなと思っています。
なんとなく生きている、と思っていても、私たちは毎日いくつもの意思決定を繰り返しています。
何を着るのか、何を食べるのか、何時に起きるのか、起きてすぐに何をするのか。
目の前にある選択肢に追われてしまう、そうして、大事にしたいことを考える時間が奪われていく。
優先度が高いのに緊急度が低いものを後回しにしてしまう典型例。
いつの間にか、昔よりも一回一回のイベントに対する準備が少なくなっていたのかもしれない。
なんとなくできるようになってしまったから、優先度は高いはずなのに緊急度が下がってしまったから。
それよりも目の前の育児に目が向いてしまう、目の前の直近の課題に目を向けてしまう。
そうこうしているうちにイベント前日になり、当日になり、いつの間にかイベントが終了している。
この場に自分がいる意味ってなんなんだろう。
そんな問いを持つようになったのも、もしかしたらなんとなく流れていたからかもしれない。
これまで4年以上関わってきた自己分析という領域。
何人の大学生を目の前に向き合ってきたかなんてもうわからない。
イベントも合宿もコンテンツも何度も何度もする中で、ちょっとずつ慣れが出てきていた。
そして、自分だからできることを、この場だからできることを、ちょっとずつ見失っていた。
誰でも出来ることをしても何にも楽しくないのに、自分がいる意味を感じられなくてむしろ病むのに。
でも、これまで確立してきた「自分」というものが、ちょっと一呼吸を置くことを阻害する。
まぁでも、このまま進んでも来てくれた人は価値を感じてくれる。
これまでの経験が呼び起こした、需要の存在の認知が、価値があるという確信が、新たな一歩を踏み出す私を引き留める。
このままじゃ絶対楽しくないのに、もっと、誰もが成し遂げられていないことを成し遂げたいのに。
そんな叫び声が鼓膜を揺らすのに、聴こえていないふりをする、なにも知らないふりをする。
ただ、ゆいの大事にしたい価値観は「声にならないこえを聴く」なんです。
言葉になり切らない、言葉にできないその人特有の「想い」に耳を傾けたい。
それはもちろん、「誰か」に対してもそうだ「自分」に対しても。
ずっとないがしろにしてきた自分自身も大切にしたい、自分のこころの奥が叫ぶ言葉を聞いてみたい。
価値があると確信があるものを壊すのも怖かった、流れとしてつくっていたイベントを中止にするのも怖かった。
でも、そうしないと変われない気がした。
これはただの直感でした、論理がどこかに存在したわけじゃない。
ただ、今一息つかないと、ずっと変われない気がして、ずっと自分じゃなくてもいいことを続けてしまう気がした。
一息ついて、ゆっくりと自分の未来を見据えたかった。自分にゆっくり向き合う時間をつくりたかった。
走り続けていると足を止めるのが怖くなる、だって、もう一度走り始められるかわからないから。
走っているときはそのまま足を動かし続けるだけでいいけど、一度止まると一歩目を踏み出すのが重たくなる。
ゆいもすごく怖かったです、このままじゃだめだって直感が何度もそう叫ぶのに、実際は行動に移せない期間が長かった。
でもさ、って言い訳して、ずっと目の前にあるものをこなしていた。
そんなこと繰り返してても何も変わらないのに、目の前にタスクがある動いている感に、毎月開催されていくイベントの進んでいる感にやられていた。
結局、自分で何か新しいものをつくれる人間は圧倒的マイノリティ。
大多数がそんなことを考えもせず生きているし、考えた人たちの大多数でさえも誰かに先を越されるかやめていく。
悲しいけどそれが世の中の当たり前。
ただ、そんなときに一歩踏み出せる人が、踏み出すために一呼吸おいて考えられる人が新しいものをつくっていける人。
何かやりたいことをかっこよく語っているように見せて、結局誰かの真似をして、これまでの自分がしてきたことを継続しているだけ。
本当に新しいものをつくれる人は、なにかに本気になれる人。
そのためには、これまでの常識も、自分がつくってきたものも全部壊せてしまう人。
誰かの悪のささやきにも負けず、一呼吸置いた後でも一歩踏み出せるひと。
継続できる人もすごいけど、本当にすごいのは本質は変わらずに手段を変え続けられる人なのかもしれない。
今あるものに慢心せず、ずっとよりよいものを探し続けられる。
それくらい、自分が叶えたいものに、自分のこころが躍るものに、自分のエネルギーの源に本気になれるひと。
昨日、社会の縮図を見たようなTwitterの投稿を見つけました。
世の中には、諦めないといけない瞬間が存在する。
全員に向き合いたくても向き合いきれなくて、向き合っても削られるだけのときもある。
削られていく感覚は何度か感じたことがあるからこそ、そういう人とは離れたほうがいいと思う。
そんな人を見捨てるのは本当はきついけど、大事だと思う人であればあるほどきつくて、苦しいけど。
でも、そうじゃないとできないことが無限に存在するから。
イベントを撤退して約1か月半期間をあけたけど、女子会に関して思考しない日は一日たりともありませんでした。
毎日考えてはちょっとずつ解像感が上がり、メンバーとコミュニケーションを取りながら少しずつ自分たちがやりたいことを形にしていく。
ひとりじゃ一呼吸置いた後走り続けられなかったかもしれないけど、ゆいには仲間もいたし、信じてくれる人たちがいるから。
だからゆいは強くなれたし、また新たな一歩を踏み出せた。こうやってこれまでにないものをつくり出す準備ができた。
今度はゆいが、そんな場を女の子たちにつくり続ける番。
自分の弱いところに向き合ってほしい、嫌いな自分を認めてあげてほしい。
だって、どれだけ取り繕ってもあなたはあなただから、そのままのあなたを愛してくれる人がいるし、愛してほしいから。
そして、一緒に追いかけてくれる仲間に出会ってほしい。
一緒に未来をみるのがワクワクするような、一緒に夢を追いかけられるような、そんな環境をつくっていきたい。
ちょっとずつゆいの理想を言葉にしていきます。
女子会は、これまでやりたいと思っていたことが全部できちゃうような、伏線回収完璧になりそうな感覚があります。
何もなかったし、そんな設計とか野望とかあったわけじゃないけど、それでも「やりたい」と直感で思ったことは間違ってなかったみたい。
心から楽しいと思えることを、心から大好きだと思える仲間たちとともに。
そしてこの輪を拡げていきます、ちょっとずつカタチになりそうでワクワク。