こんにちは、ゆいです。

今日はどんな一日だったでしょうか。

ゆいは、最近冬の寒さにやられています。

ほんとに朝布団から出られないし、日中も寒くて何も気力が湧かない日が多くて仕方がないです。

冬って、活動量が減るらしいです、寒くて外に出たくなくなるから。

最近のゆいもほんとにそうで、寒くてお散歩にも行きたくない~と思う日も多いです。

まじで極度の寒がりなんですよね、家でも一人寒い寒い言って布団にくるまってる。笑

気合いを入れてちょっと散歩に行ったり、じいじとばあばにお願いしたり、みたいな日々を送っています。

明日は、保育園の申請をしに行こうかなと思っています。

最近自分の仕事で手一杯の日が多かったり、電車で出かける時間もすごく増えていて。

もちろん一緒にいたい気持ちもあるけど、我慢させている部分も多いんじゃないかなという体感。

一緒にいる時間を思いっきり楽しみたいからこそ、わざと一緒にいない時間をつくる。

ゆいなりに心から楽しいと思いながら育児をするためには必要なんじゃないかなと思っています。

今朝の朝ドラでは、仕事場に連れて行きたい、と主演の趣里ちゃんが言っていました。

すごく気持ちはわかるし、ゆいもそんな風に仕事を続けてきたけど、自我が芽生えてくると限界があるなぁと思っています。

もちろん、一緒にいきたい予定のときは保育園をお休みすればいいし。

「絶対行かなきゃいけないもの」みたいな固定概念はなくしていいと思っています。

あと、仕事だから絶対連れて行ったらだめ、みたいなのも別に必要はない。

ゆいは自分がつくる場には絶対娘の存在が必要だと思っています。

別に娘が何かをしているのか、といわれたらそんなことは全くなくて、ただ遊んでいるだけなんですけどね。

ゆいがしゃべっているときにかまちょしてくることもある。

でも、これはエゴかもしれないけど、ゆいにとっては娘がこの場にいることが必要不可欠。

女の子たちには「育児」というものを身近に感じてほしいし、「育児」をしていても追いかけ続けられると思ってほしい。

そして娘には、いろんな世界がありいろんな価値観があり、正解なんて無限に拡がっているということを感じてほしい。

ゆいはやっぱり、育児も自分の人生も生きたい女の子たちのロールモデルになりたいんだと思います。

そして、娘にとってのかっこいいママでありたいし、無限の選択肢を見せ続けたい。

もちろん時間として、ママとしての時間も、ゆい自身としての時間も、人生の中で100%にすることはできないです。

それは、今ゆいが自分のやりたいことを追いかけていて痛感していること。

二足の草鞋を履くということは、どちらかの草鞋を両足に履き続けることはできない。

でも、片方ずつ履く時間もあれば、両足履いている時間があってもいいんじゃないかなと思っています。

でもゆいは、育児をしながら追いかけられる瞬間があり、共存できる世界があると信じ続けたいと思っています。

数年後には、いつ娘がいてもいいような働き方がしたい。

ゆいの余裕よりも先に、娘に手がかからなくなりそうだけど。笑

寂しい想いをできる限りさせることなく、ゆいのやりたいことも追いかけたいと思っています。

こういう時に頼れる存在がパパでありパートナーなのかな、とたまに思う瞬間があります。

どうしても仕事に集中したいときに代わってくれたり、一緒にいるときは心の底から楽しんでくれたり。

そして、どっしりと構えて、厳しい時には厳しく言葉を伝えられる父性愛が必要だなと思う瞬間もある。

うちの場合は現状じいじとばあばが忙しい時には代わってくれています。

ふたりとも娘のことがほんとに好きだし、娘もじいじとばあばが好きだから結果として楽しそうだからいいんだけど、たまに「ごめんね」と娘に対して思う瞬間が存在する。

そして、父親からの愛情とは何か、みたいなことを考える瞬間もあります。

母性愛と父性愛をひとりで賄うのは難しくて、でも、両親が娘に怒っているのを見ると「その役はゆいがするから」と思ってしまうんですよね。

優しくて、何でも聞いてくれる祖父母のことをゆいが好きだからこそ、ふたりにはそんな存在でいてほしいと思っていて。

でも自分の力不足でそうあれないんだな、と思ってしまう。情けない。

独りで抱え込まないでいいよ、って言われるし、いろんな人のその優しさにはすごく感謝してるんです。

でも、やっぱりどこかで「自分がちゃんとしないといけない」と自分を追い込んで攻め続けている。

ゆとりもって育児をしたいなぁと思うんですけどね、未だにですが、余裕がなくてゆい自身も子どもだなと思っています。

家を出て離婚をするときの一番の懸念は、娘からパパを奪ってしまうことでした。

一緒に生活はできないと思ったし、ゆいにとってはほんとに恐怖の対象でした。

これは今でも変わらない感情だし、ゆい自身の精神的安定を考えたら絶対離れるべきだったし、当時も離れるしかなかったと思っていました。

でも、この意思決定はゆいが元旦那から離れるという意思決定だけでなくて、娘がパパと離れる意思決定でもありました。

すごく重たい表現になるかもしれないですが。

子どもって意思決定能力がなくて、自分で決めて自分の好きなように生きることはできません。

人間の子どもはそういう状態で生まれてくるから、みんなそう。周りの大人に守られて育てられていく。

ひとりで生活できないから、親の意思決定がそのまま子どもの意思決定になってしまう。

正直、すごく怖かったです。

「親ガチャ失敗」「ママじゃなくてパパがよかった」といつか言われるんじゃないかという恐怖がつきまとっていました。

「ゆいちゃんはちゃんと育児してるよ」と誰に何度言われても、その最悪の想定だけは頭から抜けませんでした。

ずっと、5年後や10年後の娘の姿を想像しては、よくなことばかり考えていました。

ゆいにとっては、両親がいることは当たり前だったんですよね。

自分がそういう環境で育ってきたし、ゆいの周りもそういう人が多いと勝手に思っていたから。

でも、世の中の夫婦の3割は離婚するといわれている世の中で、やっぱりシングル家庭で育ってきた人って結構いるみたいで。

ゆいが離婚を考え始めて「実はうちも親シングルでさ」と話してくれる人がいました。

それも、ひとりふたりじゃなくて結構な人数。

みんなが口をそろえて言うのは、「別に何も変わらんし幸せだったよ」という言葉。

もちろん、「寂しかった」と思っている人もいるんだと思います。そして、寂しかった瞬間は存在したんだと思う。

お父さん(お母さん)がいないということで、何か言われたこともあるかもしれない。

保育業界にいたからこそ、シングル家庭ってすごく配慮の必要な家庭、という認識が強かったです。

母の日、父の日も表現にすごく気をつかったり、長期休暇もお出かけするのが当たり前じゃない、という前提で話さないといけなくなったり。

やっぱりマイノリティだからこそ、しんどいことも多くて、なんで自分だけ、と思ってる子が多いんじゃないかなって。

それでも、人生を振り返って「幸せだった」と伝えてくれる人たちの存在はすごく大きかったです。

結局うちの娘はもう1年半以上パパには会っていません。

調停中はもちろん、面会交流もいろいろ噛み合わず一回も実施されてないです。

これが娘にとって正解だったかなんてまだゆいにはわからないけど、正解だったなと思ってもらえる人生を生きられるように。

ゆいらしくママをしつづけるしかないんだと思っています。

公式LINEでは、それぞれの人の理想の生き方を見つけられるような話を個別でしたいなと思っています。

自分個人の理想と、家族の一員としての理想と。

別にそれは、将来結婚したいとか、子どもが欲しいとかだけじゃなく、親との関係とかにも転用できると思っていて。

ゆい自身も親との関係に悩みながら模索しているので、そういう人とも話せたらいいな。

気になる方は気軽にLINEを追加してみてください!

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