こんにちは、ゆいです。

今日はどんな一日だったでしょうか。

住んでいる地域はちょっと天気が良くなかったので、基本的にお家で生活。

最近娘の中でブームだったプールもできず。

ただこの週末はすごく充実してたんじゃないかな。

一昨日は、市内であったお祭りにちょっと行ってきました。

相変わらずたこ焼きとか焼きそばって感じの屋台ご飯が好きな娘。

大好きなバスに乗り、大好きなご飯をたらふく食べて満足そうでした。

ダンスしているお姉さんたちの真似をしてちょっと踊ってみたり。

昨日は5歳のゆいの従姉妹と遊んでいました。

娘からしてみたら、身近で一番年の近いお姉ちゃんです。

これまでは再会しても人見知りタイムが長いふたりだったのですが、今回はすんなり手をつないでいました。

従姉妹はずーっとおしゃべり。笑

お昼ご飯のあとはみんなでお買い物に行って。

買い物終わりに噴水があったので、ふたりであそんでいました。

着替えも持ってきていないのに、ふたりしてびちゃびちゃ。

手をつないでずっと遊んでいました。

育児というか、娘との時間でいっぱいの週末でした。

こういう週末も大事。

普段はデスクワークが多いのでパソコンに向かっていることが多いですが。

今週はだいぶ少なかったなぁ。

育児は片手間でできるほど簡単なものじゃない。

と思いながら、このブログを書いている今も横に娘がいて、テレビを見ながらお菓子を食べています。

最近はひとり遊びをしてくれる時間も増えたし、好きなテレビはずっと見てくれている。

ちょっと作業をする時間くらいは確保できたり、できなかったり。

でも毎日機嫌がいいわけではなく、好きなテレビをかけていても見てくれないときもあるし。

作業溜まっているから家にいたくても、「外に遊びに行く!」と駄々をこねられるときもある。

違う人間だから気分の上がり方も違うし、優先順位も違う。

思い通りにはいかないことばかり。

その子の好きに生きさせてあげたらいいやん。

ーうん、わかる。

いやでも、生活習慣とかは親がつけてあげないと。

ーそうだよね、最低限はあったほうがいい。

それって親のエゴじゃないの?

ーエゴになるほど押し付けたくはないなぁ。

よくある母親の悩みかもしれないけど。

どこまで娘の主体性を重んじて、何はしつけとしていくのかが難しい。

そんな焦らなくていいやん、ゆっくり見つけていけばいいよ。

と、目の前にお母さんがいたら言うんだと思う、それがゆいだから。

だって、「こうしないと」と焦っているお母さんより、毎日楽しそうに生きているお母さんが子どもたちの周りにいてほしい。

でも、その言葉を自分自身にかけることはできない。

別に親としての正解なんて存在しなくて。

「どんな親でありたいか」「どんな家庭を築きたいか」からしか見つけられなくて。

失敗もしながら、修正して自分らしく親になっていくしかないんだと思う。

社会人1年目でなんでもできると企業は思っていない。

育成にお金と時間をかけて、自分の会社で結果を出してくれる社員を求めている。

保育現場も初任は複数担任で子どもたちと関わることが多い。

親だって、初めから完璧な親がいるわけがない。

ただ、「娘」「息子」という子どもの存在が。

その子たちの「人生」という責任の重さが。

お父さんとお母さんにプレッシャーをかけていく。

ゆいも、そのプレッシャーの中で生きています。

もともと責任感が強くて、自分でなんでもやろうとする人生の中で生きてきました。

「頼る」「甘える」ということがすごく苦手だった。

両親を見てきて、保育を勉強してきて、現場で子どもたちとその家族を見てきて。

自分なりに理想の母親像がどんどんしっかりしていけばしていくほど、そうあれない自分を責めてしまう。

「ゆいがダメなんだ」「ママとして失格なんだ」「娘の前にいないほうがいいんじゃないのか」

そんな風に何度も考えていました。

今だってそう。

普段はパソコンを触りながら娘とリビングにいたり。

仕事があるからと、じいじとばあばに預けたらギャン泣きする娘がいたり。

予定のために寝かしつけに焦っていたり。

ママとしての人生だけじゃなくて、自分の人生も諦めない

これは、妊娠が発覚したときに決めた、ゆいなりの覚悟でした。

「ママ」としての人生もできる限り妥協しないし、「ゆい」としての人生も限りなく理想に近づける。

その意思決定を正解にするために、「これでよかった」と思うために動いている。

それでもたまに訪れてくる、漠然とした不安。

育児の時間が長くなれば、自分の人生の停滞感を感じて「何をしているのか」と自己嫌悪に陥り、

仕事の時間が長くなれば、娘に対して申し訳なさでいっぱいになる。

これまでの意思決定をしなかったかといわれたら答えは「No」なんだけど。

本当にこれでよかったのか?と不安になる。

それでも育児と自分の人生の両立がゆいが決めたゆいの彩で。

学生ママをしてても、シンママであったとしても、自分の人生を追いかけられる。

女性は家にいるもので、やっぱり育児の負担は女性にかかることが多い世の中だけど。

そんな社会の中で、自分のキャリアも子育ても諦めたくない女の子たちは存在する。

二兎追うものは一兎も得ず、っていうけど。

育児もキャリアも追いかけられる人生のほうが自己実現だって人がいる。

だから、ゆいはそんな女の子たちの希望になりたい。

ほんとは育児との両立をする日々のことを書こうかと思ったんですけど。

なんか想いベースの文章になってしまった。

想いがあるから今続けられている、ということなのかもしれないです。

ゆい的には、ゆいのやっていることはまだまだだと思っていて。

「ゆいには覚悟が足りない」「やめようかな」なんて話していることも。

想いはめちゃくちゃあるけど、それに見合った実力はなくて。

だからこそ、ありたい姿であれない自分に幻滅してやめたくなる。

この日々を繰り返すことに何の意味があるのか、と考えてしまう。

ただ、休学した自分も出産を決めた自分も、離婚した自分も。

これまでの大きな意思決定を繰り返してきた自分を正解にする責任がゆいにはあって。

パパのいない生活を生きると決められた娘の人生に対する責任がある。

育児の時間を確保しながら仕事をするのって簡単じゃなくて。

娘との時間を大事にしたいと思えば思うほど、預けることへの申し訳なさが募っていく。

でも、それがゆいの目指す母親像であり、女性像。

欲張りはできなくて、全部取ることはできないけど。

自分の中で譲れないところだけブラさずに、自分の理想に近い人生を生きる。

これは別に母親だからだけじゃなく、人生として。

そんな人が増えたらいいな、と思っている今日この頃。

ゆいは、娘といる時間を決めて、その時間を大事にしながら。

それ以外の時間は自分のために100%使えるような。

毎日未来を見てキラキラ笑いながら生きているような、そんなママになりたい。

その道を自分で切り開く意思決定をしていきたいなと思っています。

今日もありがとうございました。

明日も今日よりも素敵な一日でありますように。

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