こんにちは、ゆいです。

今日はどんな一日だったでしょうか。

火曜日から従姉妹と祖母が娘に会いに遊びに来ていました。娘は保育園を2日間お休みしてお家Day。

土日も仕事で外に出ていたり、じいじとばあばとお出かけすることが多かったりで、のんびり自宅育児するのは久しぶりだった気がします。

火曜日一日仕事する時間がなくて、夜めちゃくちゃ集中できたから朝まで仕事してたら、昨日は一日死んでました。

体力なさすぎて泣きそうになる、、、

家じゃ甘えてしないことも、お姉ちゃんがいるから自分もしようと張り切るむすめの姿を見ました。

私がいない日は主体的にやるときもあるらしいけど、ゆいは普段全く見ることのない姿。

保育園の先生に、「なんでも自分で頑張ってやってますよ~」って言われて、嘘やん、と思ってたけど本当みたい。

どこに行くにも何をするにも、ゆいの従姉妹にベタベタでした。

ついていって置いていかれたら、洗面所で泣き出すくらいには、ずっとくっついてた、笑

普段一人で入ってるプールも、そのあとのお風呂も、お姉ちゃんがいるから遊び方の幅が拡がってすごく楽しそうにしていました。

ひとりじゃ経験できないことも、誰かがいることで経験できるんだよなって改めて痛感した瞬間。

自分にないものを持つ人とのかかわりは、子どもたちの可能性を拡げ続ける。

いろんな価値観を持つ大人と関わってほしいと思ってるけど、同じくらい、同年代とのかかわりも子どもたちにとっては大事。

保育園に行き初めてまじで話すようになったし、いろんな経験をしてきているなと思うので。

もっと自由に、子どもたちが好奇心のままに友達と何かを追いかけていけるような場所をつくれたらいいなと思っています。

ちなみに、昨日のお昼過ぎに従姉妹とおばあちゃんは帰っていきました。

帰宅後はやっぱりさみしさに押しつぶされてずっと泣きまくっていたうちの娘。

プールやお風呂やアイスで気を紛らわしてもなお、さみしくてずっと泣いてました。

ご飯は食べながら泣いて、泣きながら食べてた、笑

昼寝は泣き疲れて、自分でふとんに向かって気づいたら昼寝をしてたし、夜も気づいたら寝てました。

今日は久しぶりだけどご機嫌に保育園に向かってくれました。夏休みまであと明日だけ。

昨日まではちょっとお休みしていましたが、その分今日からは仕事漬けの毎日になりそうです。

なぜかずっと予定が詰まっている感覚、感覚というか何かしらの予定がずっと入ってる感じになっています。今日も朝から何時間人と話してたかわかんない、笑

お盆前の最終調整!といいたいところだけど、多分お盆中も仕事をし続けることになりそうです。

でもなんか、やっといろんなものが見えてきた感覚があります。

点として存在していたものがちょっとずつ繋がってきたというか、回収できるようになってきた。

そして、新たに生まれたものを点として置き去りにするんじゃなくて、線としてつなげることができるようになってきた。

選ぶものと捨てるものをそろそろ決めないといけないんだろうなと思いつつ。

どれも大事にしたくて、どれも諦めたくなくて、どれも自分や仲間たちから生まれた大切なもので。

だから全部拾おうとしてしまっているのが今の難点。

ただ、ひとつは先月1か月かけてほぼゆいの手を離れるようになりました。

毎日誰かしらが動かしてくれて、継続して動き続けている、ほんとに感動。

自分の首を切る、手を離す、ってこういうことなのかぁっていうのを、ひしひしと感じています。

大切なものを同じように大切にしてくれるメンバーがいてくれることがすごく幸せだと思える。

ゆいはずっと、自分が全部しないといけないと思っていました。

というか、自分のために誰かに時間を使ってもらうことが申し訳なくて仕方がなかった。

ゆいのやりたいことは全部ゆいがやらないといけないと思っていたし、できないって言葉にすることが怖くて仕方がなかった。

できる自分でありたかった、誰にも頼らなくても生きていけるくらい、頼りになる存在でいたかった。

ゆいはずっと、そんな自分に生きる理由を見出していたんだと思います。

この前ふと言葉にしてましたが、ゆいは当時であった衝撃を、生きる理由としてずっと正当化していたんだと思います。

自分らしさをその瞬間に閉じ込めて、誰にも文句を言われないものとして確立していた。

もちろん追いかけてきたものは絶対間違ってないと今もなお思えるし、追いかけてきた人生が幸せだと言い切れるからそれでいいんですけど。

ただきっと、誰かに認められたくて、ずっと頼って生きてきたのがゆいの人生。

誰にも文句を言われない、何も口出しのできない自分を確立してきていた。

何年も先生になると言い続けていたのも同じ理由なんだと思います、そうじゃない自分を認めてもらうことにかかる労力を避けてきた。

今ももしかしたら、そういう部分があるのかもしれない。宣言したことを辞めることに対する労力が大きい。

サポーターとして生きる分にはすごいつよみになるんだと思います、ついていくと決めたら絶対やめないし離れないから。

6年っていう期間を、何があってもついてこられたのも、やめる理由もなかったし、そう生きるってゆいは宣言して生きてきたから。ゆいはそういう人だと自分で自分にレッテルを貼ってたから。

でも、リーダーとしてを考えるなら、目的に対してはそれでいいけど手段は何でもいいと開き直ったほうがいい。

これするよ、って言ったことも、違うなと思ったら変えたらいいしやめたらいい。

本質的な目的から離れていないなら、手段は何でも構わないから。

ただ、目に見えてわかりやすいのはやっぱり手段で、手段が変わると目的が変わってなくても変わったように見えてしまう。

だからゆいは、手段を変えることに対するハードルが高い。

でもそれじゃおもしろくないなと思ったし、よりよいものを探し続けられないなと思ったので。

ゆいはゆいなりに、大事にしたいものを大事にしながらよりよいものを探し続けられる人でありたい。だれかの意見を純粋に受け止められる人でありたい。

手段に固執しているときは、強がって過去の自分にこだわっているときな気がするからこそ、もっとフランクにいろんなものを見てみたい。

強がっていてもなにもいいことなんてないから、これからの自分と周りにいてくれる人たちを信じて変えてみたい。

週末のイベントを経て、ひとつ新しいアイデアが浮かびました。

それは、ゆいにいろんなアイデアをくれるメンバーがいるから、その子たちが一緒にカタチにしてみてくれるから。

ひとりじゃ踏み出せない一歩を踏み出させてもらっているのは、周りにいるプリキュアたちじゃなくてゆいなのかもしれない。

そう思わせてくれる、ゆいにない魅力をたくさん持っているメンバーたち。

ゆいにないその人のよさは、嫉妬の対象じゃなくて、魅力に変わった。ゆいにもあるものがある、と自分にも目を向けられるようになった。

この数日はいろいろと安定している感覚があります。

やっと自分で自分を安定させられるようになった気がする、どうでもよくなったものがいっぱい。

たぶんこれも一時かもしれないし、些細なことで不安定になる瞬間もあると思うけど。でも、今のこの感覚を覚えておくことに意味がある気がしています。

自分が何かしつづけないと誰かに認めてもらえないって昔からずっと思ってたけど、そんなことないってやっと思えた。

ゆいのことを理解してくれているって分かってるから、一緒に何かしたいと思ってくれている気持ちが本心だって分かるから。

誰かを信じるのも、自分を信じるのも、こういう感覚なのかなって、初めて出会えた感覚と一緒に今生きている気がします。

だからこそもっとワクワクできることを、信じたいと思える人たちと一緒に追いかけてみたい。

ゆいのpaletteでゆいの彩を、誰かのpaletteで誰かの彩を。

そして、そのふたつの彩を混ぜ合わせられるco-paletteを。

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