こんにちは、ゆいです。
今日はどんな一日だったでしょうか。
ゆいは、久しぶりに娘を両親に預けて大阪に出てきています。
娘と離れるのは3週間ぶり?とかなのでちょっと変な感覚。笑
預けるタイミングがなかったのはたまたまですが、この2,3週間はちょっとした病み期でした。
まだ別に病み期から完全に脱したわけではないのですが。
昨日の夜中も頭の中がいろいろぐちゃぐちゃで、一人で泣いていました。
ずっと蓋をしてるいろんな感情を思い出して、自分のことを責め続けていました。
こんなに泣いたのはすごく久しぶりな気がします。
ちゃんと沈んでいる、って感じが続いています。
日常からの逃避行動を繰り返しながら、自己嫌悪に陥り、結果タスクをする日々です。
こんな自分に何ができるんだって、何もできないなら消えてしまったほうがいいんじゃないかって。
そんな風にずっと考え手が止まり、そんなの嫌だって自分の背中を押し続ける。
情けないですが、これが今のゆいの等身大なのかもしれないです。
ただこのまま止まっていたら後悔まみれな未来しか待っていないと思うので、前日比101%くらいででも進んでいくしかないなという感覚です。
病んでいるときに人と会わなくなると余計病みますね。
何かと動いているし、人と話していると笑っているのですが、ひとりで家にいると結構沈み気味。
ゆいは人と会ってないと前を向き続けられない人間みたいです。
もしくは、人といてる間は沈んでいる自分を忘れられるだけかもしれないです。
誰かの前にいるときにかぶれる仮面は、いつまで経っても健在。
等身大の自分を隠して、仮面を被ろうとしてしまうのはいやな癖です。
誰にも会っていないとはいえ、もちろん娘はいるし、実家なので両親とも顔を合わせます。
実家生活ももう1年になります。
年度末で移動しようかなと思っていたのですが、ちょっと最近のバタバタしていたことがあり、延期かなぁ。
今ではなさそうです、というか、今移動したら理想の未来から遠ざかりそう。
もうちょっと両親に頼りながら、娘もちゃんと保育園に預けてゆいなりに動き続けられる感じにしようかなと思っています。
たぶんこれがゆいにできる最速。
人と比較するのではなく、自分自身の最大値と比較し続けられる生き方をしたいものです。
高校を卒業して大学進学を機に実家を出ました。
サークルもバイトもあり、予定とか長期休暇の数日とかしか帰らない娘でした。
どこかずっと気を遣わないといけない実家がちょっと苦手だったっていうのもあります。
あまり実家には寄り付かない娘になっていました。
そんなゆいがこの1年の前に数か月実家で生活をしていた期間があります。
それが娘の出産のとき。
コロナ渦ではありましたが、里帰り出産をしに実家に帰っていました。
県境を跨ぐということで、2週間前から県内の滞在が求められていて、年明けすぐくらいに実家に帰りました。
いたのは3か月くらい。
娘の1か月検診が終わってすぐに大阪に戻りました。
まぁ産まれてからの話はまたするとして、今日は里帰り出産について話をしようかなと思っています。
ゆいが里帰り出産をすることを決めたのは、両親からも義両親からも勧められたから。
初産だし、初めは大変だろうから実家で両親に頼りながら1か月ゆっくり休んだらいいよ、っていう感じでした。
里帰り出産には紹介状が必要で。
最後の日に紹介状を発行してもらう必要があります。
コロナも関係していたのか、産んだ産院の方針かは分かりませんが、ゆいは妊娠6カ月のときに一回診察を受けに行きました。
その時も受診日の2週間前に県境を跨いでいないといけなくて、実家に2週間滞在。
思い返せばですが、元旦那に対して一番初めに不満を持ったのはこの時だった気がします。
別に家事をスマートにやってほしいとか、完璧に動いてほしいとかそういう要望は全くなかったんですけど。
ただ、ずっと実家暮らしで家事をほぼしていなかった元旦那にちょっと家事を経験してほしかった、とは思っていて。
でもまぁその計画もうまくいかず。
この人は娘が産まれても家事に協力する気はないんだなと思ってしまった瞬間でした。
そんなことがあった初めの2週間の里帰り。
久しぶりに実家に帰りましたが別にまだそんなお腹が大きいわけでもなく。
妊娠してるんだよなぁ、ってくらいの感じでした。
この時に、病院の先生に女の子って言われました。
多分だけどねぇ、といいながら、それもさらっと。笑
それから数ヶ月経ち、本格的に里帰り出産に向けて実家に帰ることになりました。
元旦那は立ち会い出産がしたいということで、予定日の2.3週間前から実家に来てくれていました。
とはいえそれまでの1ヶ月くらいと、産後1か月は別々で暮らしていました。
仕事とかがあるんで、やっぱりずっと大阪を離れるのは難しかったみたいです。
里帰り出産と立ち会いって両立されにくいなぁ、とそのとき感じました。
助けてくれる両親がそばにいてくれるのも、旦那さんと生命の誕生を見届けるのも、すごく大事だと思うのに、両立が難しい。
男性にも産休制度が適応されたらいいんですかね。笑
実家にいるときはもうほぼ正産期で、いつ生まれてもいい感じだったのでパパやママとよく散歩していました。
初産だと産道が開きにくいらしくて、運動をしてちょっとずつ降りてきていい準備をする感じ。
反対に、早産の危険性がある時は絶対安静って言われるのが妊婦さん。
安静のレベルが上がると入院をする必要があることもあります。
それくらい、赤ちゃんが十分な時間胎内で成長するのが生き残るために重要ってことです。
そのために女の人はしんどいつわりに耐えて、ホルモンバランスの変化を感じて、ひとりで2人分の命を背負っている。
つわりは病気じゃないかもしれないけど、新しい命守るためにすごく奮闘してくれてる証なのに。
冷たい言葉をかける人が多いのは悲しいですね。
ちょっと話はそれましたが。
パパは単身赴任中だったのですが、何かあったらいけないからって週末はできるだけ帰ってきてくれる感じでした。
気晴らしに高原に連れていってもらったりもしていたかな。
運動が好きなのは体が重くなっても変わらず。
いろいろ歩いて、ちょっと探検してみたり。高原の端にある崖まで行ってみたり。軽く家族でテニスをしに行った日もあったみたい。
ただまぁ一向に産まれてくる気配のない娘。
3月が予定日で、ちょっと早めに生まれてきたら卒業式に顔出せるかなぁ、とか思っていたのですが、そんなのは淡い期待に終わりました。
運動してね、エレベーター使わず階段使ってね、といわれて実家のマンションも毎日階段生活もしていたのに、全然。笑
思い返せば、里帰りで実家に帰って元旦那と離れて生活をしていたときは、よく喧嘩をしていました。
何で喧嘩をしていたのかとか、もう覚えてないです。
それくらい、ほんとにしょうもないこと続きだった気がしますが。
電話やzoomで話して喧嘩して、これを全部お腹の中で娘が聴いてるんだなと思って情けなくなって。
毎日のように泣き続けていました。
ママにもめっちゃ心配かけていました。
不安と焦りと、襲ってくる責任と。
もちろん期待や楽しみもありましたが、襲ってくるいろんなものにつぶされて、ゆい自身すごく余裕がなかったんだと思います。
両親にあたったりもしてたし、それでも受け止めてくれる両親には感謝しかなかったです。
いつか自分も娘にとって、これくらい余裕を持って関われたらいいなって、そんなふうに思っていました。
家族ってやっぱりあったかくて、両親ってすごく偉大で。
他人と生活するって、家族になるってほんとに難しい。
暇な毎日の中で何かしたいなと思って、ハンドメイドで娘のミトンやニット帽をつくっていました。
新生児向けのサイズに合わせて作ったら、すぐつけられなくなりましたが。
今でも大事に取ってある、宝物です。
この期間何してたんだっけな、というのが実はあんまり覚えていなくて。
当時書いていた日記を見ながら今日の記事を書いていました。
あの頃のゆいは、すごく未来にワクワクしていて、ママとして、家族として、楽しみなことでいっぱいでした。
パパとママは親になるタイミングが違うとよく言われます。
ママは妊娠した時、パパは子どもが産まれた時。
実際、ゆいと元旦那はどう感じていたのかは分かりませんが。
なんかそういうところからずれてくるのかもしれないですね。
やっぱり何事も先に共有しておくことが大事で、そのためには自分の大事にしたいものが先に明確になっている必要がある。
これに限ると思います。
自分の存在価値とかわからなくなるし、しんどくなる瞬間も多いですが。
それでも、ゆいは自分の経験を通して話せるものがあると思うので、それを大事にしていきたいなと思います。
元旦那との話も、誰かに還元できるくらいに自分の中で消化して、仮面の上からじゃなく心から納得してはなせるように。
ゆいも一歩ずつ成長あるのみです。
公式LINEでは、それぞれの人の理想の生き方を見つけられるような話を個別でしたいなと思っています。
自分個人の理想と、家族の一員としての理想と。
別にそれは、将来結婚したいとか、子どもが欲しいとかだけじゃなく、親との関係とかにも転用できると思っていて。
ゆい自身も親との関係に悩みながら模索しているので、そういう人とも話せたらいいな。
気になる方は気軽にLINEを追加してみてください!