こんにちは、ゆいです。

今日はどんな一日だったでしょうか。

ゆいは、最近なんか怒涛です。笑

考えることで溢れている、全然時間的に追いついてないです。

その割にずっと体調は芳しくない、悪くもないけど良くもない。

昼も頭が痛くて寝てました。ちょっと休んで体調は何とか回復。

ゆいはずっと、自分の考えていることを表現するのが苦手な人間でした。

そして、自分のわがままを通すのも避けてきました。

親が苦手なのもきっとそう。わがまま言っていいよ、みたいな空気感と、言えない自分のギャップがしんどい時がある。

素直になりきれない自分を感じる瞬間に、すごく嫌になってしまう。

きっと、親の前にいる自分が嫌なんですよね、仮面をかぶっていい娘であるかのように演じてしまうから。

だから、ほかの人間関係も同じようになってしまうことが多くて。

どこ行く?とか何食べる?とか話すときは基本黙ってる、というか、意見は言えない。

なんか合わないな、と思うことがあっても、基本的に笑ってながしてしまう。

だってその方が波風が立たないから。その方が安全だから。

ただ、仲が良くなればなるほどその裏の顔というか、素の顔が出てくるときがあって。

ゆいって仲いい人にほど冷たいよね、みたいなことは何度も言われたことがあります。

そして、実際に自分もそうだと思っている。

仲いい人にほど適当に関わっちゃうというか、なんか違うなと思った時にその態度が雰囲気に出てしまう。

言葉にするとめちゃくちゃ子どもかもしれない。笑

ただ、最近はちょっとずつ自分の考えていることを素直に表現できるようになってきたなって思います。

嫌なことがあれば嫌だといえるし、違うと思うことには違うといえる。

怖いから「ゆいの主観だけど」って枕詞はよく置いちゃうけど。

それでも、自分の主観で、自分の考えていることを話すことができる。

昔は、すべてをため込んでしまうタイプでした。

ため込んでため込んで、その結果、そのあとで爆発しちゃうタイプだった。

感情が爆発して、よく喧嘩をしてしまっていた。

人間関係において対話を大事にしたいというのに、対話ができずに感情をぶつけて喧嘩をしていた。

もしあの時もっと自分が大人だったら、あの頃素直に嫌なことを嫌だと表現することができていたら。

そんなたらレバを考えることがあります。

でも、それはどこまでいってもたらレバでしかなくて、そしてゆいは、それがかなう未来は想像できない。

理由は単純です。

相手が、自分の素直な想いを受け止めてくれるイメージが一ミリも湧かないから。

もし素直に話したとして、それをそのまま受け止めてくれるならいいんですよね。

そんなふうに考えてたんだね、って言ってくれるなら、でも僕が思うのはね、って話してくれるなら。

もしかしたらそんなふうに生きてくれる人だったかもしれないけど。

ゆいの想像上のあの人はそんな人ではないから、そんな姿は全く想像もできなくなってしまったから。

ゆいが今、ゆいの思っていることを素直に伝えられるのは、素直に伝えたことを受け止めてくれる人たちに囲まれていると思えるから。

みんないろんな過去を抱えて生きている。

いろんな苦悩を乗り越えて生きているんだから、きっと一つや二つのトラウマくらい存在する。

触れてほしくない過去も、放っておいてほしいこともある。そんなの人生を生きてきてるんだから当たり前。

ゆいも、触れられたくないものもあるし、口出ししないでくれと思うこともある。

ただ、だからこそ人の温かさに触れることのできる瞬間がある。

この前、友達の涙を見ました。ただ純粋に、ゆいの幸せを願ってくれてるが故の涙でした。

ゆいの過去を知っている子で、そのころ一緒に走っていたメンバーのひとりなんですよね。

だからこそ泣いてくれたんだけど、だからこそゆいは幸せだって思えた。

こんなふうにあたたかい関係性の中で生きられていることがすごく幸せだと思うことができた。

この人生が正解かは、ゆいが正解にするしかなくて。娘にとって正解なのかもわからないけど正解にするしかなくて。

正解にできたかどうかは、もっと生きてみないと分からなくて。

でも、こんな人に囲まれているということが、こんな人が周りにいてくれているということが、ゆいの幸せだと思った。

こんな人たちに囲まれているからゆいは素直にいられるから。

なら、それだけで正解だといっていいんじゃないかなと思った。

友達の涙を見て、ゆいも泣いてました。

うれしくて、あったかくて、とても幸せで。気づいたら一緒になって泣いてた。

誰に何を言われようが変えない意思決定をしつづけてるつもりだから、あんまり怖いとか思わないようにしてたけど。

でも、心の奥では怖いと思っていたのかもしれないし、不安だったのかもしれない。

いや、きっと、不安だったんだと思います。この生き方に対する周りの生き方はほんとに極端だから。

ただ、決めたから、って自分を奮い立たせているだけだった。

でも、それを認めてくれる人がいるとすごくうれしくて、間違ってなかったって思える。

そんな人たちに囲まれているから、ゆいも素直に表現してみたいと思えるんだと思います。

そんなふうに思った友達との一幕でした。

ゆいのpaletteでゆいの彩を、誰かのpaletteで誰かの彩を。

そして、そのふたつの彩を混ぜ合わせられるco-paletteを。

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