こんにちは、ゆいです。

今日はどんな一日だったでしょうか。

ゆいは、今日は合宿中です、娘はじいじとばあばと野球観戦に出かけました。

いつの間にかもう6月。今月が終われば2024年も半分が終わるということみたいです。

すごくあっという間だった感覚と、でも、いろんなことがあったなという感覚と。

去年の年末何考えてたかな、とふと思って。

今年の目標は100%で生きる、なんですよね。これまでのゆいは80%くらいで本気にならない理由を探しながら生きてる人間でした。

ずっと自分が嫌いでした、こんな風になれたらいいのに、こんなことができたらいいのに。

そんな理想の自分と、でも頑張り切れない、本気になり切れない自分の狭間でずっと葛藤してました。

本気になるのがすごく怖くて、なにかに真剣になってる姿を誰かに見せられなくて。

ニコニコ笑いながら、なににも本気にならずに生きていました。

卒なく何でもこなせる、優等生のいいお姉ちゃん。

そんな自分をずっと演じてきました、わがままもできない自分も熱中したいことも全部隠して。

ずっと何に対しても80%でした、そして、80%でそれなりの評価を受けてしまっていた。

だから、それ以上の頑張り方がいつもわからなくて、でも、がんばれない自分がすごく嫌いだった。

ただ、そんな自分を表現することもできなくて、自分の中で悶々と抱えていました。

やっと、誰かにわかってもらえた気がした去年の年末。

がんばってる、って言われるのもすごく嫌いで、自分は頑張ってると思えなかったから。

でも、ゆいちゃんは理想の自分と現状の自分が違うのがしんどいんだよねって、いわれて、解放された気分になりました。

頑張ってないのは自分だから、ゆいが頑張れてないのがいけないから、しんどいって思うこと自体が間違ってるとずっと思ってて。

でも、その過去のゆいの生き方を誰かに受け止めてもらえた気分になった瞬間。

そんな自分が嫌なら、失敗してもいいから100%で生きてみよ、って背中を押してもらえた瞬間。

だから今年の目標が100%で生きる、でした。

無駄な言い訳せずに心の底からやり切ったって思いたいと思えた。そんな1年にしたいと思えた。

そんなことを考えながら年末を振り返っていて思ったことは、嫌いだった自分の着ぐるみを脱ぐ、ということに関してはがんばれたな、ということ。

頑張らない自分も、なんでもわかってる自分も、どんなことでも笑って流せちゃう自分も。

いろんな自分がいて、別にどれも間違いじゃないけどいつもちょっとずつ無理をしている感覚で。

この前言語化した、ちょっとずつすり減らしていた、がほんとに一番しっくりくる。

嫌われたくない八方美人だから、誰にも嫌われないという幸せのために日々少しずつ堪えていた。

そしてたまに、心のキャパオーバーが発生して涙が止まらなくなる瞬間を迎えていた。

変わりたい、と何度願っても変われなかった自分の嫌な側面。

嫌われたくはないけど、自分のことも大切にしたいってずっと思ってました。そのために変わりたいって。

それでも変われない自分に何度も嫌気がさしてた。

でも、変わりたいと思う部分って誰にでもあると思っていて、だって人間はみんな凸凹だから。

ひとはみんないろんな側面を持っていて、得意なところもあれば苦手な部分もあって。

だからこそ、ひとは助け合って生きているし、ひとりじゃ生きていけない。

できない部分や苦手な部分があるから、それはできる人に頼めばいい。

昔、デンマークに行ったときに現地在住のツアーコンダクターの人から聞いた話があって。

「あなたは数学が得意で英語が苦手なら、英語は得意なあの子に任せてあなたは数学を頑張りなさい。」

これがデンマークの基本的な教育方針らしいです。

「全教科平均点!」「全教科7割!」とかを目指すようなゆいがこれまで触れてきた日本の教育制度や方針とは全然違う。

日本はどちらかというとできない部分を平均に引き上げることに力を注ぐと思っていて。

でもそうじゃなくて、凸凹があることを認めたうえで、尖れる部分を極めることに力を注ごうとする。

こんなにも個人を見た、素敵な考え方があるんだなって当時思って。

でもゆいは、出る杭は打たれる環境で生きてきたからこそ、自分の凸がどこかわからなかった。

そして、頼るという行為が苦手で弱いところを見せられなかったからこそ、自分で自分の凹を埋めることしか考えられなかった。

だからちょっと自分に問うてみてほしいと思っていて。

だれにも負けない、負けたくない自分の凸ってどういう部分で、誰かに助けてもらいたい凹ってどこなんだろうって。

最近は、わざと自分のできない部分を意識するようにしています。

そしてそれは素直に表現して、いろんなひとに助けてもらおうって。

ゆいの想う「彩」っていうのはそういうもので、誰かの彩と混ざり合うことでより多彩な表現に変わるから。

みんなが同じ彩である必要なんてなくて、同じ彩の指標で測られる必要もなくて。

むしろ、バラバラだからこその良さが無限に存在する。

自分をちょっと好きになれたらいいことばかりでした。

まぁいっか、って開き直れることも増えたし、他人からの言葉も素直に受け取れるようになりました。

そして、自分の頭の中の思考を受け止めてあげられるようになった。

そしたら、自分の考えてることを素直に話せるようになりました。

好きなものは好きだといえるし、嫌なことはいやだといえる。溜め込む前に全部伝えようと思える。

だからこそ、いろんなひとにこんな感情になってほしい。みんなが自分の人生の主人公だから。

どうせ自分になんてできない、って思うなら、できる人と一緒にしたらいい。

できない理由なんていくらでも思いつく。それは、いい言い訳になってしまう。

ゆいもずっと自分にはできない理由を探し続けて言い訳をし続けていた。

でも、それじゃやりたいことは叶えられないし、自分で自分の人生を彩ることはできない。

できない理由を考える時間があるなら、できる方法を考えつづけたらいい。

やりたいことは最近めちゃくちゃ浮かぶようになったので、全部叶えるためにはいろんな人を巻き込まなきゃいけないなぁと思っています。

ひとりじゃできないことだらけだから。

何か挑戦してみたい誰かの、挑戦してほしいと思う人がいる誰かの、きっかけをつくり続けたい。

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