こんにちは、ゆいです。
もうすぐ3月も終わりますね、新生活が始まる人も多のかな、?
うちの弟は、4月から新社会人です。この前卒業式を迎えたらしいです。
私は大学1~3年の3年間は、サークルの先輩のお祝いで現地に行っていたのですが、自分のときは行きませんでした。
同期の卒業式も出産1週間後?とかで参加できず。
ビデオ通話だけつないでもらって、みんなの晴れ着姿を見ました。
大学を卒業してもうすぐ1年。ママになってもう3年。
つい先日、娘の3歳のお誕生日を迎えました。
両親に、3年経ったね、あなたもあーちゃんも頑張ってるよ、と言葉をかけてもらいました。
自分のことも大事で追いかけている身勝手なママで、淋しい想いもいっぱいさせているママで。
こんなんでママ失格だなって思うこともいっぱいあって。それでも、数年後に一番ありたい姿があるから、それを目指して走っている感覚があって。
両親に理解されてないかも、と思うことも多かったので、なんか勝手にひとりで泣きそうになっていました。
やっと、やりたいことも言葉にできるようになってきたのでここからが始まり。
この1年は、療養期間として設定してのんびりしていたこともあり、あんまり社会人感もなく生きていました。
今も自分で好きなことを仕事にするべく奮闘しながらフリーランスをしているので、これから先の人生も、そんな感じなのかもしれないけど。
でも、最近はただ療養しているのではなく、社会復帰を目指すのではなく、自分が自分として生きられる道をつくっている感覚があります。
ずっと仮面や着ぐるみを身にまとって生きている感覚でいっぱいでしたが、最近はそんなこともない。
ありのままを大切にしてくれる人に囲まれて、仮面も着ぐるみもない、ありのままの自分を表現できています。
ちなみに、友達が平日仕事をしていることに不思議な感覚を抱きながら生きてきた3年でしたが、弟までもが平日は毎日仕事みたいです。
25歳という自分の年齢を痛感します。
最近、自分が変わったなと思う瞬間が増えました。
2月くらいにストレングスファインダーしたんですけど、もうちょい待てばよかった感。笑
この1か月くらいでまた一段と覚悟が決まって、見える世界が拡がった感覚があります。
周りには年明けくらいから変化を感じ取られていたらしいのですが、どうにも自己認知が弱くて、、、
ずっと周りの評価だけが先に進んでいる感覚がありました。
自己評価が追いつかなくて、どんどん評価が上がっていくことに焦りを感じていた。
そんなにいい状態じゃないのに、と思いながら、見せかけの自分で生きている瞬間もあった。
人生のターニングポイントってどこに落ちているかはわからないんだなと思うんですよね。
この数年はいろんな転機のなかで生きている感覚があります。
直近のゆいのターニングポイントは、先週の合宿でした、それはだれに何と言われようがその通りで。
自分がつくった、自分がやりきった、という感覚でいっぱいの2日間でした。
そして、参加者の表情も運営の表情もいい感じで、すごく幸せをいっぱいもらいました。
合宿中に運営の子から言われたことがあって。
ゆいさん変わった、泣きそう。
出会って1年にも満たない後輩で、それでも一緒に何かしたい!って言い続けてくれる子で。
いつもゆいに気づきと幸せをいっぱい分け与えてくれる子です。
ずっと、誰かのNo.2として生きたいと思っていました。
誰かのビジョンが叶うことが自分の幸せだと思っていたから。
もちろんそれは変わってなくて、周りの人間が幸せそうに笑ってくれているのはめちゃくちゃ幸せ。
でも、それだけじゃないんだよな、っていうのを最近はすごく感じています。
大切だなと思う人たちと、一緒にバカみたいに笑える瞬間も、何かを真剣に追いかける瞬間も本当に幸せなんです。
ずっと、お花畑をつくりたかったけど、自分はその花の中にいなくて。
みんなのとっての太陽でありたいと思っていました。
それは、自分にはみんなみたいに咲かせられる花のタネなんて持ってないと思っていたから。
別に特別な人間というわけでは無く、何もない人間だから。
本当に自分が嫌いで、自分が生きている意味も見つけられなくて。
友達にも恋人にも依存しがちで、誰かの役に立っている、必要とされる自分であろうと必死でした。
誰かの一番でありたかった、誰かにとっての特別でありたかった。
でも、いまなら自分で自分を認められるような感覚があります。
まだまだその感覚が弱くなる瞬間も無限にあるけど、それでも泣いて泣いて沈んで、その結果1日で自力で復帰できるくらいにはなりました。
自分のやりたいことを見つけられな人もいると思うんですよ。
うまく言葉にできない人もいると思う。
ゆいは、どうしても追いかけたい夢はないながらも、なんとなく言葉になっている夢を追いかけ続けていました。
何もない自分を認めたくなかったから。そんな自分を誰かに知られたくなかったから。
周りのひとには夢があって、どうしても追いかけたいものがあって。
「これがしたい」と言葉にできない自分は、見つけられない自分は何か欠けているんじゃないかと思っていました。
すごく悲しくなったことも、むなしくなったこともあります。
それでも、向き合ってくれる人がいたから、あきらめずに続けてきたから今の自分がいると思う。
ひとりじゃ乗り越えられなかったことも、誰かがいてくれたから乗り越えてこられた。
ゆいは、だれかにとってのそんな存在になりたい。
今すぐに何も見つからなくてもよくて、大きな夢なんてなくてもよくて。
でも、何となく毎日を生きてほしくなくて、惰性の人生はさみしくて。
だからゆいは、誰かの人生に向き合い続けたい。
できたらいいなぁ、じゃなく、これがしたい、といえるようになったゆいは、変わったんだと思います。
別に失敗してもいい、うまくいかなくてもいい、それでも本気で追いかけてみたい。
そんな風に思えるものに出会えた人生がすごく幸せで、追いかけている今がすごく楽しい。
ちなみに、ゆいは本気で追いかけられる夢を見つけるまでに5年以上かかっています。笑
だから焦る必要なんてどこにもなくて、ただ、なにかきっかけになるようなものに出会い続けたらいい。
何度も何度も自分に向き合い続けたらいい。
でもそれをひとりで続けることには限界があるから、足を止めたくなる瞬間があるから。
そんなときに一緒にいられる人でありたい。
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co-paletteという名前は、ゆいがその人にしか出せない彩(イロ)を大事にしたいと思ったから。
ゆいが自分の彩をつくれるようなパレットでありながら、誰かと一緒に彩をつくっていきたい。
そんな風に思ってこのブログを書いたり、イベントをしたりしています。
ちょっとずつ共催企画も進めていきます。
第一弾は3/27のキャラ弁お花見会@大阪
運営メンバーでキャラ弁をつくっていくので、気になる人はぜひご連絡ください~