こんにちは、ゆいです。
今日はどんな一日だったでしょうか。
ゆいは一昨日昨日と合宿を開催してそのままメンバーの家に泊まり、敬老の日なので祖母の家に来ました。
今回の合宿を自分なりに節目にしようと思い、そこまでに自分のつくりたいもの、メンバーと一緒につくりたいものを一旦カタチにする、と決めたのが7月頭。
そこからの2か月半はすごく怒涛の日々でした。
夏休みという普段関わる大学生のメンバーに時間の余裕ができる期間。
ここでどれだけメンバーに向き合い、やってみたいを言葉にしてみるのか、それを一旦カタチにできるように進んでいくのか。
そればかりをずっと考えていました。
あとは、自分がやってみたいと心から思うこと、エゴかもしれないけど解決したいと思う課題。
はじめてここまで自分の「やりたい」にも本気で向き合った期間でもあります。
この期間でひとつ、諦めたことがあります。それが、自分のアイデア力と、手段へのこだわる力。
着想はそんな強くなくて、誰かのアイデアをよりよくする意見、かけ合わせる意見を考えるのは得意だけど、かけ合わせるための要素を出すのは苦手な人間です。
でも、それができないといけないと思っていました。できない自分を責めることもありました。
アイデアを出せる人がうらやましかった、なんで自分にないんだろうって卑下する理由になっていた。
その癖に、新しいことをしたいと思うから、誰かが話していると「じゃあ自分はいいや」って引いちゃう人間でした。
でも、そのこだわる力を自分に求めるのを辞めました。
もちろん、自分の中には譲れないものは存在します。前提となる価値観とか哲学はブレないし譲れない。
ただ、手段とか方法とかアイデアとかに対するこだわりはない。
だから、そこにこだわりたい、と思えるメンバーの力を借りることにしました。
この女子会の場では、これをつくってみたい、こんなことがしてみたい、そんなメンバーの声をカタチにすることにしました。
声にならないこえを聴く。
心の奥の叫び声に耳を傾けたいと思った、4年半もの間一度もぶれない自分の哲学。
ゆいと一緒に何かやりたいと思ってくれる、この場で何かを見つけたいといってくれる、そんな人たちの声にならないこえを聴きたい。
まだ言葉になっていない叫び声を、この場で拾い上げてまずは言葉にしたい、そしてカタチしてみたい。
この2日間は、いろんなメンバーのやってみたい、と、ゆいのやってみたい、をかけ合わせる時間でした。
この2か月半でずっと準備してきたことが詰め込まれていた。
正直、一旦カタチにしただけだからまだまだ粗もいっぱい、もっとできると思えることもいっぱい。
だけど、こうやってみんなと一緒にいろんなものをつくっていくのかなって、この先に自分のやってみたいと思えるものがあるのかなって。
まだまだなところから共有するから、ここから進んでいくと感じられるものをつくるから。
ひとつひとつのコンテンツが、みんなで一緒につくっていくような、みんなで一緒に拡げていくような感覚になれる。
これおもしろい、またやってみたい、自分ってこんなこと考えてるんだ、、、
と、いろんな言葉を聞くことができました。
いっぱい笑って、いっぱい話して、いろんな感情を共有して、一緒に時間を紡ぐってこういうことなんだろうなって思いました。
やっぱり共同生活に価値はある、時間を共有することに意味もある。
みんなのやりたいを聞いて、ゆいの話を聞いて、涙を流してくれた参加者がいました。
すっごいしあわせで、気づいたらゆいも泣いてました。
こんな風に涙がこぼれてきたのは、久しぶりな気がします。
普段なら絶対堪えるんですけど、昨日は我慢できなくて。あーしあわせだなっていう気持ちでいっぱいでした。
12月から始めた女子会、なんかこのまま進んだらモヤモヤを抱えたままになりそうで改めて考えなおした4月。
そして、そこから半年が今。
まだまだできないこともいっぱいで、まだまだみんなのやりたいをなんでも叶えられる場所でも無くて。
でも、ちょっとやってみたいと思ったことを言葉にすることができる。
言葉にすることで、まずカタチにしてみることができる、誰かからの反応が返ってくることがある。
同じように、自分のやりたいことを探している人がいる、一旦カタチにしてみようと動いている人がいる、それを自分のものにするために考え続けている人がいる。
この場のものはゆいのものであり、みんなのものである。
それぞれのやりたいとかけ合わせて、みんなが楽しいと心から思えることを追いかけ続けられる。
そのための環境をゆいがつくり続ける。
挑戦できない自分、意見を言うことのできない自分、変われない自分、嫌いな自分。
そんな自分の弱いところに向き合い続ける、目を逸らして逃げるんじゃなくて、正面から向き合える。
そして、その自分を越えていく、嫌いだった自分のことがちょっと好きになる。
ありのままの自分でいいよねって自分のことを認められる、素直にそのまま受け止められる。
そしてその先で、大切な誰かのことも愛せる、誰かからの些細な愛を感じられる人になれる。
ゆいは、メンバーたちに愛されてるなと思いました。
ゆいさんと何かしたい、といってくれる。この場が好きだといってくれる。自分もいつか挑戦できる人になりたいといってくれる。
みんなの中にある、普段ちょっと言葉にするのが恥ずかしくなるような大きな夢を、叶わないでしょって諦めちゃいそうな夢を。
ゆいは拾い上げて一緒にカタチにしてみたい。一歩踏み出すきっかけをつくりたい、目の前にあるハードルを1ミリでも下げてみたい。
誰かの想いを一旦カタチにしてみる面白さを感じました、難しいけど、だから面白いんだって思えた。
うまくいかないこともあるし、悔しいこともいっぱいだし。
ついてくる人間としてじゃなく、リーダーとして生きるとこれまでと考えることも見えているものも変わる。
合宿前にもいろいろあって、考えることいっぱいで、どう動くのかがいいのかも悩んで。
うまくいくだけなわけがない、うまくいくときもあればうまくいかない時もある。これでいいのかなって悩むこともある。
ただ、この2日間を通してゆいがやりたいことも、つくりたいものも、ここにあると確信できました。この数か月は間違ってなかった。
でもゆいは、たった一人で進み続けられるリーダーでもなければ、なんでもできるリーダーでもないから。
一緒に追いかけてくれるメンバーたちがいるから、ゆいはリーダーでいられるし、自分のやりたいことを追いかけられる。
でも、メンバーのために自分の中にある信念をブラすわけにもいかない。
どうしても譲れない部分や追いかけると決めたものは変えずに、それはゆいの彩として尊重して。
その上で、誰かの彩もかけ合わせてみる、一緒に新しい彩でキャンバスに彩を塗ることができる。
やっと、自分のことを大切にすることができるようになりました。
これまでのゆいはきっと、自分の彩を消して誰かの彩を尊重しようとしすぎていたから。自己犠牲が誰かにとっての愛だと思っていたから。
だから自分のことを無色透明だと比喩することが多かったんだと思います。
自分の彩を見ようとしなかった、大事にすることができなかった。
でも今やっと自分を大事にすることができるようになったんだと思います。
そう確信するくらい、ゆいらしい彩と、一緒にいてくれるメンバーの彩で溢れてる時間でした。
ここまで来れたからこそ、他の場所でもゆいはゆいらしくいられるんだと思います。
ゆいと同じように自分のことがちょっと嫌いな誰かが、ほんとはやってみたいことに挑戦できない誰かが、自分を犠牲にして誰かのために無理をしている誰かが。
ゆいが自分のことを好きになれたように、嫌いな自分を乗り越えられたように、乗り越えたい自分の中にあるハードルを越えられるように。
昨日も、21時半ごろにメンバーの家に帰り、そのまま振り返りとこれからのミーティングをしていました。
じわじわと手の届く範囲でプリキュアを増やしていけるように。
いろんな人の彩をかけ合わせながら進んでいきます。
ゆいのpaletteでゆいの彩を、誰かのpaletteで誰かの彩を。
そして、そのふたつの彩を混ぜ合わせられるco-paletteを。