こんにちは、ゆいです。
今日はどんな一日だったでしょうか。
ゆいは、昨日今日と、家族旅行に行ってきました。
4月には実家を出て、この1-2年で環境がまた大きく変化しそうなので、こうやってのんびり旅行に行けるのは今回が最後かな。
次は元気なうちに旅行をプレゼントしてあげたい。
銀婚式の時にはギフトとして旅行券をプレゼントしたんですけど、また違う形で。
たくさん甘えさせてもらった2年半でした。
勝手に家を出ていて、ふたりからしたら訳の分からない場所に避難してると伝えたあの日。
あの数日のことは、これから何があってもきっと忘れないと思います。
もうすべてが終わりだと思ったし、すべてがどうでもよくなっていた。
たくさんのごめんなさいと、たくさんのありがとうで溢れてた数日でした。
あの日から約2年半が経過しました。離婚してちょうど2年です。
大学に進学する時は、実家を出ることを前提で考えてました。家から通う気は1ミリもなかった。
嫌いじゃないけど親というものがすごく苦手だったから。
世間一般的に見たらすごく恵まれた家庭環境だと思います。
経済的にはなんの負担もなく生活していました。
中学受験も、大学受験も成功して、友達も恋人もそれなりにはいて。
どこにでもいるただの女の子で、ありふれた人生をただ生きている女の子でした。
ただ、ゆいはいつも自分のことをピエロのような人生だと思っていました。
自分が生きてる感覚なんてない人生でした。
いまだに親の前ではピエロの自分が出てきます。
自分の意見を伝えるのはすごく苦手で苦しくて、些細なことでも声が震える。
こんなにも、親に何も本音で話せない人は見たことないくらい、親とのコミュニケーションを避け続けてきました。
いつか、あの頃苦しかったんだと直接伝えることができる未来があるのかもしれないけど。
それまではもしかしたらずっとゆいは、今のままなのかもしれない。
だから、大学進学で家を出たタイミングから、帰るつもりは全くありませんでした。
そのまま外で就職するつもりでした。
それが、全く思ってもない形で実家に帰ることになりました。
娘が生まれてもうすぐ4年になりますが、怒涛の期間でした。
半分以上、ゆいは両親を頼って、甘えて育児をしてきました。一人前のママだと自分のことを言うのはすごく苦手。
そしてこれから先もきっと、いろんな人を頼りながら育児をするんだと思います。
ゆいのそばに居てくれる、優しくてあったかい、みんなのおかげでゆいはママでいられてる。
そして、ママをしながら自分の好きなことをしながら生きる、を体現させてもらっている。
だからゆいは、恩返しをしていかなきゃいけない。
巻き込まれてくれた子たちに、信じて背中を押し続けてくれる人たちに。
そして、小言を言いながらもいつも背中を押してくれる家族に。
このふつかは、だいぶオフを満喫してました。
みんなの人生が進んでいるのを感じながら、ママとしての人生100%で生きる時間にしていました。
娘は、普段触れられない世界に触れられていた気がします。両親には感謝です。
そんな中で、ちょっと苦しいと思う瞬間がありました。
この世の中がすごく悲しく感じた。
悲しくて、虚しくて、ただ、自分がその虚しさを生み出す構成要素のひとつであることが苦しかった。
最近、目を背けてしまっていた自分のよわさがあります。
なんとなく、このままじゃ結局なにもなし得ないような感覚でいっぱいでした。
でも、目の前にあるものに追われていることを理由にしてその感覚をずっと見て見ぬふりをしていた。
ただ、逃げていてもなにも変わらない。未来は1ミリもよくならない。誰も救えないし、ここまで進んできた自分も報われない。
決め切る怖さは、未だにずっと付きまとっています。自己肯定感はいつまで経っても低いままです。
最近変わった気がするのは、ゆいの本質じゃなくて人間関係が変化したから。
言い換えられるようになったのは、言い換えてもいいんだって言ってくれるから。
この人達なら信じてもいいって思えるから、思わせてくれるから。
そんな人たちに囲まれているから変われている気がするだけで、ゆい自身は何も変わっていない。
ただ、まわりにいる人たちをそう認識することができるようになったのは、ゆい自身の変化かもしれない。
ゆいはまだまだ何者でもない。そして、このまま生きていても何者にもなれない。
それでも、きっとある程度は幸せだと言える人生なんじゃないかなって思うんですよね。
大切な人たちにかこまれて、大好きな娘がいてくれて。
きっとそれなりに、幸せ、なんだと思う。
このまま生きてたら、そのなんとなくの幸せに蝕まれてしまいそうな、やりきれずに終わりそうなそんな感覚に襲われていた最近。
なんかそんな感覚が苦しくて、悲しくて、でもそれがきっと現実で。
この世をただ構成する何の変哲もない1要素でしかないんだと、誤魔化していたことを突きつけられたようなオフでした。
変わりたい自分は、変わりきれてない自分で。
もっと強くなりたいと願う自分は、強くなりきれていない自分。
でも、弱いのがありのままの自分だから、その弱さをつよみに変えていくことが求められる。
癖は変えられなくて、思考の流れなんて簡単には変わらないから。
だから、自分で何かを変容させていくしかない。自分というものの特徴を変えることなく、その特徴が自分の魅力になるように。
自己認知がいつまでも低くて、すぐ泣いちゃうのがゆいなんですよね。
しんどいときにしんどいって素直に甘えるのが苦手。
誰かのためにならいくらでも時間をつかえるのに、自分のためには使えなくて、使ってもらうのも気が引ける。
でも、だからきっと、ゆいの周りは味方でいてくれる人であふれている。
こんなゆいでも、素直に怖いと言える環境にいることが必要で、背中を押してもらい続けたらいい。
ひとりで無謀な挑戦ができるほど、怖さに打ち勝てる人間にはなれないから。
ただ、怖さを笑い飛ばしてくれる人たちに囲まれて生きていくことは可能だから。
ゆいも、一番ゆいらしくいるために必要だと思っていることは大事にしながら生きていこうと思います。
やっぱり、ひとりじゃ弱いから。でも、それはきっとみんなそうだから。
ゆいはゆいなりの方法で、周りを頼って周りの力を借りながら進んでいくしかない。
ちょっと心の余裕が取り戻せそうなので、3月に向けて最後の準備していきます。いいオフだった。
ゆいのpaletteでゆいの彩を、誰かのpaletteで誰かの彩を。
そして、そのふたつの彩を混ぜ合わせられるco-paletteを。