こんにちは、ゆいです。
今日はどんな一日だったでしょうか。
昨日は朝からバタバタしていて、帰りの電車のなかでブログを書こうと思っていたのですが、爆睡していました。
というわけで1日遅れの更新。
今年もあと3か月になりましたね。
もう年末がすぐそばまで来ているようなそんな感覚で、2024年のはやさを痛感しています。
個人的にはすごく変化量の多い9か月でした。
でも、変化したよね、頑張ったよね、って言って残り3か月をのんびり過ごしていたらもっとやれたなぁ後悔しそうなので。
あと残り3か月も変わらず進み続けるしかないなぁと思いながら毎日を生きている感覚があります。
「声にならないこえを聴く」という価値観をずっと大切にしながら生きてきました。
この言葉が自分の中から生み出されたのが、4年半くらい前の話。
ただ、去年の年末に感じたのは、誰かの声にならないこえに耳を傾けることには注力してたけど、自分の声にならないこえを聴いてなかったなということでした。
結局自分がなにを叫んでいるのかもわかってなかったし、自分の中の叫びを優先することもありませんでした。
結局それじゃ自己犠牲のままだよなって感じたのが年末で、この半年くらいは自分のこえに耳を傾けられるようになってきた感覚があります。
昔のゆいは、誰かの声にならないこえを聴きたくて仕方がなかった。
その結果、目の前にいる人が楽しそうに生きてくれることが幸せだったし、それが自分の生きる意味だと思っていました。
生きづらい世の中が嫌で、誰かの評価ばかり気にして生きている自分が嫌いで。
だから誰かの心の叫びに目を向けて、いろんな人が自分の判断軸の中で伸び伸びと生きてほしいと思っていたけど、それを自分にすることはできなかった。
ずっと自分は心の叫びに蓋をして、我慢をして、でもどこかで限界が来てダムが決壊したかのように感情のままにいろんなものを流してきた。
いつの間にか、ダムを修復する間もなく感情があふれて、自分で何かをコントロールすることができなくなってた。
でもやっと、感情を言語化して、溢れる前にコントロールができるようになってきた気がします。
そしてコントロールできるようになった結果、この世界も案外悪くないって思えるようになってきました。
苦しくてしんどくていっぱい泣いたからこそ、そんなゆいだからこそ、誰かに伝えられることが無限にあるよなって思えるから。
最近はそんなことを考えながら、自分のやりたいことを追いかけ続けることにしています。
ただちょっと合宿を終えてからキャパオーバーの感覚が拭えないのも事実です。
やりたいことでいっぱいですごい楽しい毎日なんだけど、その分考えることも多い。
いまが勝負するときだよな、という感覚はこれまでの自分の人生の流れを踏まえたらそうだと思う。
いま一歩踏み出して、挑戦しないときっとありたいと思っていた自分にはなれない。
でも、そのために考えることがありすぎて、一個一個消費していきたいけど、考えてる間に他のものの思考が入ってきてまた脱線、みたいな。
それでも追いかけているものは自分がやりたいことだなと思えるから、いいペースで進んでいけたらいいなと思っています。
もうちょっと思考が進んだら、来年どんなふうになっていきそうかここに残します。お楽しみに!
さて、9月の育児の振り返り。
保育園でつくってきたトンボの眼鏡。なぜか一生表と裏を反対につけることにこだわってました。笑
保育士してた頃におんなじ感じのものを子どもたちとつくって、保育園中さんぽしてたなぁ、ってなんか懐かしくなった瞬間。
滋賀での合宿。お姉ちゃんたちに囲まれて、いーっぱい遊んでもらった2日間。
いつの間にか場所に慣れすぎて、私がいなくても平気になってました、、、
最終的には、笑顔でお見送りしてもらえるまでに。
10月の運動会での仮装衣装。
プリキュアブームかと思っていたらこういう時はドレスがいいみたい。笑
サイズの確認のために着せたら「脱ぎたくない!」の一点張りでひと悶着、、、
そうなるよなぁ、と予測してたものの運動会まではできるだけきれいな状態で保存しておきたいおとなたち。
相変わらずいろんな大人に囲まれて、すくすくと進んでいるわが娘。
お兄ちゃんもお姉ちゃんもだいすきで、家でもゆいの友達も、保育園のお友達もいっぱい名前が出てきます。
話もだいぶできるようになって、眠たい時のわがままは消えないけど、いろんなことを教えてくれます。
どんなママでありたいのか、は体現できてるかわかんないけど、ゆいはゆいなりにやりたいように生きられているのかなmって。
ゆいは、気づけば来年は二拠点生活になりそうです。その話もまた次の機会に。
ゆいのpaletteでゆいの彩を、誰かのpaletteで誰かの彩を。
そして、そのふたつの彩を混ぜ合わせられるco-paletteを。