こんにちは、ゆいです。

今日はどんな一日だったでしょうか。

うちの娘は久しぶりの保育園に行きました。1週間も空いたけどルンルンで保育園に向かっていってました。

園につくと教室のほうから名前を呼ばれてて、お友達ともほんとに仲良く過ごしてるんだなぁ、としみじみ。

まだ4カ月半とかですが、話す言葉は増えたし、できることも増えたし、お友達もできたし。

家でいるだけじゃ経験できないことをしてるんだろうなって、できなかった成長を遂げてるんだろうなって、漠然と考えています。

お盆期間中は、娘は休みでしたがゆい自身の休みはほぼなく。

長期休暇最終日の昨日、唯一娘とふたりでちょっとお出かけしてきました。

それ以外は毎日仕事の予定が入ってることが多くて、あんまりのんびり過ごしてあげられなかったので、ちょっとしたリフレッシュ。

ゆいの友達とランチに行き、そのあとおねえちゃんといっぱい遊んでもらっていました。

移動してからはちょっとした縁日みたいな場所で輪投げとスーパーボールすくいも。

人見知りを発揮しながらも、いろんなものに興味を持って、いろんな人に愛されて育っていってるなと実感できました。

個人的には最近フッ軽を発揮することが多くなっている感覚があって。

いろんな人の誘いに、できるだけ乗ってるし、その結果なのか、いろんな人の相談にも乗ってることが多いです。

そんな中でこの前話題になったのが「愛する」とはどういうことなのか、というテーマで。

個人的に、co-palleteの目指す世界観の中には絶対愛は存在している感覚があるなと思ってここ数日言語化を繰り返しています。

今の結論は、「余裕のない中でもふんわり香る思いやり」なんじゃないかというものです。

余裕があるときは誰かに意識を向けられるからこそ、誰かのために行動できる人が多いと思っていて、自分のために動いてくれる場合もあると思うんですよね。

でも、本人に余裕がない時ってそうはいかないと思っていて。

自分に余裕がない時は、誰かのために何かをしたり、誰かのために時間を使ったりすることが本当に難しい。

そんなときでも、時間をつくろう、何かしてあげよう、と思える相手は、そもそもすごく大切な相手で、愛してる人なんじゃないかなっていう。

ただ、きつい香水のような押しつけがましいものじゃなく、何となくあったかくて、何となく香りのするふんわりとしたもの。

あとは、その香りを感じることができるのも愛なんだと思っていて。

人によって愛の表現方法は違って、大切だ、って言葉にする人もいれば、態度で示す人もいる。表情が変わる人もいれば、口調が変わる人もいる。

そんな風に、人によってどんな方法で香りをあなたのまわりで充満させているのかは違う。

ただ、それに気づけるのかどうか。

自分の求める愛情表現をしてくれない人を責めるのではなく、相手なりの表現に目を向ける。

「これくらい大切なら当たり前でしょ」じゃなくて、「この人は大切だからこんなことをしてくれてるんだ」って相手視点で考える。

そうすることで、相手からの愛に気づくことができる。

嗅覚は90秒でその匂いに慣れてしまうといわれています。

慣れてしまったらもうその匂いは感じようと思わないと感じられない。その匂いに囲まれていることが当たり前になってしまうから。

同じように、誰かからの愛情も日が経つにつれて当たり前になって感じなくなってしまう。

ただ、少し離れた後だとその匂いに気づける。ちょっと恋しくなる瞬間がある。

別の道を生きると決めた後で名残惜しくなるのも、他の人といるときに恋しくなるのも、当たり前にあったその匂いが当たり前じゃなくなるから。

この人といたらこんなにもあたたかくて、ふわっと香るものに包まれていたんだと気づけるから。

そして、余裕がない時でもこのふんわり香るものが存在するということが、愛なんじゃないかなって。

余裕があるから誰かに香りを届けるんじゃなくて、余裕がない中でも届けたいと思える相手。

余裕がなくても、その人からのあたたかい香りに意識を向けて、気づくことのできる相手。

ゆいはきっとまだそんなに人を愛せたことはないのかもしれないなと思いながら、相談を乗る中で考えていたゆいなりの言語化です。

余裕がない日々を過ごす中で、いろんな人にゆいは愛を届けてもらったと思っていて。

だからこそ、今このタイミングで気づくことができたんだと思います。

「○○してくれない!」「△△って言っても変わらない」って自分の思うものを押し付けるんじゃなくて。

相手なりの表現を、相手なりの香りを大切にする。

だからこそ、まずは自分のことを知らないといけないし、相手にも目を向ける必要があるし。

ゆいがしたいことってこういうことなんだろうなって、気づけなくなった相手からの香りに気づくきっかけを届けること。

そして、自分が届けたいと思う相手に自分なりの方法で香りを届ける方法を探すこと。

女子会内での動きはめちゃくちゃハードでほんとに最近忙しくて。

昨日の夜も、まだまだやること残ってる、、、って言いながら、早起きして仕事しようと思って就寝しました。

が、結局疲れ切っていたのか、起きたのはいつも通りの時間。ブログを書いている今、すごく眠たいです。笑

それでも、ゆいなりのふわっとした香りで包みたいと思える人たちがいるんですよね。

めちゃくちゃ時間を使えるわけでは無いけど、できる限り時間を生み出したいと思う人がいる。

笑っていてほしいから、話に耳を傾けようって思える人がいる。何か力になりたいと思える人がいる。

余裕があるときにも、ないときで届けてくれるあたたかい香りに、気づける人がいる。それだけで十分だと思わせてくれる人がいる。

シングルマザーで、完全オンラインでフリーランスをして、自分で事業立ち上げようと動いて、ビジネスパートナーとも事業を立ち上げようと動いて。

タフだよね、めっちゃアクティブですね、って言われることは最近ほんとに多くなりました。

でも別にゆいの中では目指すものがあるから追いかけるのは当たり前で、でも本気になるのがゆいなりのゆい自身への愛。。

やらない理由がないだけ、そして、「ゆい」という人間を頼ってくれる子たちの相談も乗らない理由がないだけ。

ゆいを信じてくれる人を大切にしない理由がないだけ。

そのふわっとした香りを届けている分、ゆいは最近周りにいてくれる人たちに無限に救われてるなと思っています。

そして、メンバーのおかげで進み続けられている。

だってゆいは、ターゲットにも手段にもこだわりがない人間だから。なんでもいいから決め切れない人間だから。

誰もがを救いたいし、手段なんて叶うなら何でもいいと思っている。

そんな自分にないものを素直に表現して、誰かのために動こうとすることができるメンバーがいてくれる。

こんなことしたいんだよね、って話してくれることもゆいが受け取っている愛であり、それを実現するために時間をつくることはゆいが今できる最大限の愛。

毎日新しいものを生み出し続けています。

いろんな人の期待という愛も、信頼という愛も、尊敬という愛も、いろんな愛を受け取りながら。

言葉や表情や行動で伝えてくれる、いろんな愛に包まれながら。

大切な誰かが愛を向けたいと思う人たちのために、愛を向け続けてきたもののために。

co-palleteをつくりたいと思いあえる相手も、きっとお互いが愛を届けている相手なんじゃないかなと思って。

この数日めちゃくちゃ言語化していたので、今日はそんな感じのブログになりました。

ゆいのpaletteでゆいの彩を、誰かのpaletteで誰かの彩を。

そして、そのふたつの彩を混ぜ合わせられるco-paletteを。

最近言語化が進みつつある「愛とは」について」への1件のフィードバック

  1. 一生大事にしたい文章が詰まってました。。ゆいさんなりの愛の捉え方を言語化してくれて感謝です

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