こんにちは、ゆいです。
今日はどんな一日だったでしょうか。
ゆいは、昨日が月曜日なことがすっかり抜けておりました。気づいたのは、娘の寝かしつけをしているとき。笑
なので諦めて火曜日投稿です。
今日は、朝から作業をして、夜は後輩ちゃんたちと飲んでます。
今年、新しいことを始めるにあたって改めて自分が何を大事に生きていきたいのかとか、何を目指して生きているのかとかを考えています。
結局ゆいはなにがしたくて、何のために今この人生を生きているのか。
ゆいがどうしても叶えたいと思うものは何なのか、それに向かうエネルギーは一旦どこから湧いてきているのか。
付随して、過去のこともいろいろと振り返っていました。
昔は何かあるたびに、寒気がしたり、呼吸が浅くなったり。
寝つきがすごく悪くなって朝方まで起きてて、寝れたと思っても悪夢で目が覚めたり。
ほんと些細な言葉でしんどくなって、ひとりで泣いてることも多かったです。
今でもトラウマみたいになることが全くないのか、と言われたらそんなことはないですが。
それでも、その頻度はだいぶ減った気がするし、ある程度のことは受け流せるようになりました。
というか、あんまり思い出せなくなってきました。
これは、シンプルに時間が経過したからなのか、記憶から消えてるのかは分かりません。実際、この1年ゆいの周りにいてくれる人たちは、ゆいのことを肯定して応援してくれる人たちばかりです。
でも、たぶんゆいは後者だと思っていて。
理由は、なぜか結婚生活だけは思い出せないから。
きっと笑ってる時間もあったと思うし、その分泣いてる時間もあったと思う。いっぱい悩みながら毎日を生きていたんだと思う。
家で仕事や育児をしながらも家事をして、ご飯をつくって帰りを待っていた気がする。
でも、もうゆいにはその記憶がほぼなくて。だから、思い出すものが存在しない。
友達が家に遊びに来てた時の記憶とかはあるんですけどね。
夫婦で過ごした時間はゆいの記憶からは基本的に消されています。
ただ、あの時考えていたことはちゃんと残っています。
当たり前ってこんなに違うんだって思いました。それは、うちの基準と、元旦那の家の基準が全然違ったから。
こんなにも分かり合えないものなんだって思いました。
ゆいは、育児をしながらでも自分らしく生きることを望んでいたし、それはわかってくれていると思っていました。
だから、家に入って自分のサポートだけすると思っていた、と言われた時の衝撃は忘れてないです。
もっと結婚する前に、話し合えていたらよかったと思うことばかりでした。
でも、あの頃の私たちには話し合うことはできなかったんだろうなとも思っていて。
理由は、自分が何を当たり前と思っていて、どんな家庭を築きたくて、どんな夫婦でいたくて、どんなふうに子育てをしたいかを言葉になんてできてなかったから。
ゆいの中には理想がありました。今ならちゃんと言葉にできる理想。でも当時はあまり言葉になっていなかったもの。
家族で年に1,2回くらいはちょっと遠くまで旅行に行きたいし、家族の誕生日は大切にしたいと思っていて。
仕事も、家事も、育児も、半分こしながら、余裕がないときはすんなり頼れる関係で、子どもの前では喧嘩をして泣いてる姿なんて見せたくない。
お互いの大切なものを一緒に大切にできる存在でいてほしい。
子どもには、興味があるものはできるだけなんでも飛び込んでいけるような環境をつくってあげたい。
出会えなかった、がないように、できるだけいろんな価値観に出会わせてあげたい。いろんな経験をさせてあげたい。
その中で、好きなものを素直に表現して追いかけられるためのサポートがしたい。
他にもいっぱいかけるけど、とりあえず今回はこの辺にしておきますが。
言葉にできなかったゆいにも非はあると思います。どちらかだけが悪いなんて人間関係においてほとんど起こりえないと思っているから。
ただ、ゆいの中では、どんどん自分の理想とかけ離れていく怖さが自分を襲ってくる感覚だけが残っています。
「僕のことを見てよ」といわれるたびに、自分という存在がこの場にいる意味がわからなくなっていました。
このままだと自分という存在が死んでしまうような気がしていました。
でも、嫌だと、拒否することでしか、当時のゆいには表現できなかったものでした。
22歳でママになって、子どもの笑顔はもちろん、自分も笑ってたいと思っていた。
子どもの前では笑っているママでありたいと思っていた。
好きなものを追いかけるって素敵なことだって、生き方で伝えられるママでありたいと思っていた。
できる限り、パートナーの仕事のサポートができる奥さんでありたかった。
おかえり、と、ご飯をつくって笑って出迎えることのできる余裕が欲しかった。
些細な、自分の中に当時からあった理想。そして、ゆいなりの愛情表現。
でも、それは共有しないと伝わらないし、理想を叶えることなんてできない。
だから。
もっとちゃんと伝えられる言葉になっていなきゃいけないし、共有しあえる関係でないといけない。
どちらかの理想を押し付けるのじゃなくて、折り合いをつけていく必要がある。
もともとそれができる関係を築ける人もたくさんいると思うけど、でも、そうじゃない人がいるのも事実だから。だって、ゆいがそうだったから。
だからゆいは、ゆいと同じように苦しむママをひとりでも多く減らしたい。
そのために、まずは、自分が何を大事にしたいのか、という部分から。
自分の家族というものに対して当たり前に持っている価値観を見つけられるコンテンツをつくる。
そして、趣味とかじゃなくもっと本質的な価値観でマッチングできるようなものへと進化させていく。
これはゆいが、離婚をするときに考えていたこと。そして、やりたいと思ったこと。
どれだけ過去の記憶が風化されていったとしても絶対忘れない。ずっとゆいの中にある、熱量というか、追いかけたいと思うもの。
当時かけられて悲しかった言葉たちは、一度も忘れたことはありません。
言われた時は何も考えられなくなるような衝撃を受けたし、なぜそんなことを言われなきゃいけないのかわからなくてずっと泣いてた。
でも、だからこそ今ゆいは前を向いて進めるんだと思います。
なんでそんなこと言われなきゃいけないんだよ、っていう感情が、どうしても見返したいと思う感覚が、今のゆいを突き動かしている。
ママはこうであるべき、とか、女性だから、とか、親が離婚したら、とか。
言いたいことはよくわかるけど、でも、そのために我慢する人がいるのって絶対違うと思うから。
ずっと、ゆいの中では自分が間違ってないと思いつつ、本当は間違っているのかもしれないって思っていて。
だから、当時のことの中でも話せることと話せないことが乱立していた気がします。
自分のことを認めてくれる人達にまで批判されることが怖くて仕方がなかった。
それはゆいちゃんが100%悪いよ、って言われてしまったら、もう立ち直れないと思っていた。
ゆいが親に向き合いきれないのも、きっと親に言われたら復帰できない気がしているから。
でも、そんなことで諦められる想いじゃなくて。どうしても叶えたいものだから。
ありのままのゆいを知ってくれたうえで、それでもついてきたいと思ってくれる子たちと、ゆいは一緒に何かを作り上げたいと思うから。
だから、ゆい自身もゆいのやりたいことをもっと公言していこうと思いました。
今進めているものは、その第一歩です。実は、日曜日に体験会の1回目をしました。
まだまだ修正するところばっかりなので、コンテンツしながらミーティングしながら見たいな感じの時間でしたが。
1回目をしてみて、やっと方向性が見えてきたような気がします。
また、現状報告するので、お楽しみに。
ゆいのpaletteでゆいの彩を、誰かのpaletteで誰かの彩を。
そして、そのふたつの彩を混ぜ合わせられるco-paletteを。