こんにちは、ゆいです。

今日はどんな一日だったでしょうか。

ゆいは、土曜日から家族で出かけていて、今日帰ってきました。

娘は2日半はしゃぎまくって歩きまくってクタクタな模様。

旅行先では、新しいものを見たり新しい挑戦してみたり。

また娘の経験値が一つ増えたのかもな、って感じでした。

誰かに気を遣ったり、誰かの顔色を見るんじゃなく、自分がやりたいものに素直に挑戦できるひとに育ってほしいと思っています。

今はまだ小さなことの積み重ねをしていく期間だと思っていて。

いろんな小さな挑戦とか、小さな「やってみたい」を大事にできたらいいなと思っています。

じゃあなんでゆいが、娘の「やりたい」を大事にしたいと思っているのかというと。

ゆい自身が、自分の「やりたい」の声に耳を傾けずに生きてきた人間だったから。

別にその人生も含めてゆいの人生で、そうやって生きてきたからこそ今のゆいがいると思っているのでいいんですけどね。

でも、いいこともあればしんどいこともいっぱいあったから、娘のやりたいはかなえてあげたいなと思っています。

昔のゆいの話を少ししますが、いわゆるゆいは「優等生」といわれる人間でした。

「友達が受けるから」「仲いい先輩が行ったから」という理由を親に話して説得し受験した公立の中高一貫校。

ギリギリまでバレーボールもミニバスも練習に生き続けていましたが、直前のインフル期間の勉強のおかげか、合格しました。

正直、ゆいより本気で勉強してきた子はたくさんいたと思います。

あんまり大きな努力をすることなく、結果として返ってきたはじめてのものでした。

あ、小学校のテストもそんなに勉強もせず毎回100点でした。

塾に行っていなかったゆいは、テストってそういうものだと思って中学に進学して、最初のテストで驚愕。

テストって普段の授業受けているだけで解けるものではないんだなと気づき、ちょっとずつ勉強もするように。

私が受験という道を選んだのは、間違いなく主体的な意思決定ではありませんでした。

友達とおなじように生きていたい、浮きたくない、という想いから発生した他者軸の意思決定。

小学6年生のクラスは、3/4が受験して1/2が地元、1/2が中高一貫校に進学するような学校でした。

私が住んでいた地域があの小学校の学校区じゃなかったら、たぶん受験していません。

そのまま高校受験することもなく、地元、というか、県内では名前を知らない人はほぼいないような進学校での6年間の生活。

当たり前かのように「進学」しか選択肢がない世界でした。

学校のテストの成績、模試の成績ですべてが判断されるかのような世界。

文武両道の名のもと、部活も引退まで続けて。

ゆいよりもうまい子もいっぱいいれば、自分の意見を持って発言できる子もいるのに、なぜか任命されたキャプテン。

いつの間にか、みんなに嫌われないキャプテンでありながら、優等生な自分を演じていました。

別に当時から演じていると思っていたわけではないですが。

毎日生活することにすごく必死だった感覚はあります。

部活から引退し、当時の彼氏や友達とたまに息抜きしながらの勉強。

バレー部の仲いいメンバーと、使っていない体育館でバレーしていたこともありました。

教室や学食の部屋でみんなで集まって勉強することが多かったです。

理系科目が得意だったので、質問されることも多くて。

誰かに頼られることで、自分がこの場にいていいと認めていたんだと思います。

そのまま第一志望の国立大学に合格、滑り止めに受けた私立大学もセンター利用も一般も両方合格。

いわゆる、安定の道。

4年制の国立大学、教員を目指して、教職課程に在籍。

サークルも学科も、すごくいい友達や先輩に恵まれて、充実した学生生活を送っていました。

いわゆるレールに乗った人生。

中学受験に進学し、偏差値で判断される大学受験競争の中で、第一志望校に合格しました。

教員免許状もとれるし、教採も就活も選べる状況に3年後にはなる。

普通に教員になる人生を生きるつもりで、なんとなく大学に行き単位を取るために勉強する日々。

何のために教師?といわれても、子どもが好きだから、っていう子どもみたいな理由。

どんな先生になりたい?と聞かれても、子どもたちと一緒に笑っていられたらいいな、みたいな感じであんまりちゃんと考えていませんでした。

なんとなく教員にあこがれを抱いたから目指しただけの話でした。

あとは、やっぱり資格が取れるっていうのも大きい。

一回仕事をやめても、また資格を使えば戻ってこれる場所が存在する。

ただ目の前の「やったほうがいいこと」をこなすだけの毎日でした。

でも、そんなときに知る、ゆいがこれまで知らなかった、縁遠い存在だと思っていた「自分で生きる」という道。

ずーっと誰かの笑顔のために仮面を被ったり、我慢したりする人生だったんですよ。

だから「自分のやりたいこと」なんて目を向ける時間が少なくて。

「やりたいこと」として話していることが、「だれかが笑ってくれること」だった時期も長かったです。

目の前にいる人が笑ってくれるなら、自分が泣きたくて我慢していてもいいと思っていました。

でもね、それはほんとに心からしあわせな状態とは言えなくて、自己実現じゃなくて自己犠牲。

最近気づきましたが、自己実現と自己犠牲って表裏一体なんじゃないかなと思っていて。

結局、自分がなりたい姿にも他者が関わってくることが多いので、誰かの課題を解決したり、誰かを笑顔にすることはできると思います。

わざわざ誰かを悲しませたい、ある種趣味の悪い人は、自己実現とかけ離れた世界で生きていると思う。

ただ、誰かのためだけに自分の時間とか資産を使うのはたぶん自己犠牲といわれるんだと思います。

それに反して、ほんとにしたいことだったり、その先にやりたいことがあっったりしたら、それは自己実現になるんだと思います。

だって自分がしたいことのために時間を使うことに対して、自己犠牲とか思わないから。

ブラック企業とホワイト企業とかも似ている部分があると思っていて。

結局 ブラックだという人は、自分のやりたいことをしていないんじゃないかな。

やりたいことをしている経営者とかは、仕事の時間が人生の大半でもブラックとか言わない。

YouTuberとかにも多いと思いますが、好きなことをしているから編集の時間に追われてもブラックとか思わない。

結局その違いは、自分の内から出てくる「やりたい」という想いがあるかどうか。

そういう仕事に出会えることが、ゆいは幸せだと思っています。

仕事だけじゃないかもしれませんが。

自分の生きたい人生に必要なら、ちょっとしんどくてもきつくても、その時間を楽しめると思うんですよ。

これからはゆいもそういう人生を生きたいし、娘にもそんな人生を生きてほしい。

自分が一番幸せだと思える意思決定をして、振り返って幸せだったと思える人生にしてほしい。

そんな風に思っています。

そのために今から、ちょっとずつ「やりたい」を話せる環境や関係を築いていきたい。

まだまだ余裕もなくて課題もいっぱいですが、最近はそんなことを考えながら生きています。

話してみたいなぁ、とか思ってくださった方はぜひお話しましょう~

公式LINEでは、それぞれの人の理想の生き方を見つけられるような話を個別でしたいなと思っています。

自分個人の理想と、家族の一員としての理想と。

別にそれは、将来結婚したいとか、子どもが欲しいとかだけじゃなく、親との関係とかにも転用できると思っていて。

ゆい自身も親との関係に悩みながら模索しているので、そういう人とも話せたらいいな。

気になる方は気軽にLINEを追加してみてください!

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