こんにちは、ゆいです。
今日はどんな一日だったでしょうか。
書いている現在は2/15ですが、書ききった時間の都合上公開は2/16になってしまいました、、、笑
ゆいは、寝不足続きのせいか、ちょっと調子がよくないなぁ、という感じで一日過ごしていました。
昨日の夜、久しぶりに夜泣きをして、もうなんか全然寝られなくて。
やることも終わらないまま、娘の隣で寝ていました。
昔はもっと短時間睡眠でも元気だった気がするんですけどね。
もう若くないのかなぁ、と思ったりもします。
今は完全に食欲不振です、睡眠欲が強くなると食欲が急激に減退する。
まじでご飯が食べられないし、おいしいとも思えない。
こういうことをするから、体調崩したときにすぐに顔に痩せたのが出ちゃうんですよね。
ちなみに、ブログを書いている今も寝そうです。文章が変だったら、そういうことだなと思ってください。笑
この前、久しぶりにイベントに参加してきました。
ゆいの女子会と同じように女の子が集まっていたのですが、自分がつくっている場とはまた違うかたちの場になっていて、おもしろいなと思っていました。
あとは、人と一緒にお菓子作りをしたことなかったけど、みんなでワイワイしながらするのって楽しいんだなぁと思って。
このイベントには娘も一緒に参加していたのですが、一緒にお菓子作り体験をさせてもらっていました。
あとは、チョコのつまみ食い。笑
一緒に連れてきていいよーといってくれる仲間に囲まれているのは、すごく幸せなことだなぁと思うんですよね。
ゆいは、自分が大好きな人たちと娘が仲良くなってくれたらうれしいし、いろんな価値観の中で娘に育ってほしいと思っているから。
でも、そういう想いも全部エゴなんだよな、と思う瞬間があります。
というのも、この前自分の父親に「娘を第一に考えたときにその意思決定になるのか」と聞かれました。
ゆいにとっては、いろんな価値観の遭遇が娘の幸せであり、いろんな選択肢が拡がる未来がいちばん明るいと思っています。
これは自分の中ですごく大事にしたいなと思っていることであり、自分の人生においてもブレない軸。
ただ、それが娘にも当てはまるのか、といわれたらそんな確証があるわけでは無い。
もしかしたら、「そんなのは幸せじゃなかった」といわれる未来があるのかもしれない。
それでも、ゆいは親として「無限の可能性を拡げ続ける」という部分はブラしたくないと考えています。
だからこそ、幼少期の期間からいろんな人がいる環境下で育ってほしいし育児がしたい。
いろんな価値観に刺激をもらいながら成長してほしい。
そんな風に思いながらゆいは育児をしています。
こんな風にいろんな人に関わってほしいと思っていたのは結構初期から。
生後4か月の娘を連れて合宿をしようと思ったのも、きっと自分のなかにこの想いがあったから。
でも、エゴだよ、自分勝手だよといわれ続けて、ゆいはどこからがエゴで、どこまではエゴじゃないのかがわからなくなりました。
自分の思い描いているものは全部自分勝手で、全部エゴなんじゃないかと思った瞬間もあります。
そんな風に思うと、自分のやりたいことを追いかけるのも、言葉にするのもすごく怖かったです。
だって、それは全部エゴで、それを諦めるのがママだよねと言われたら何も反論できないから。
それくらい、自分の追いかけたいものとか、大事にしたいものに対する自信がなくなっていました。
でも、このままじゃどんどん自分が死んでいくだけの感覚がありました。
なにもせず、何も成し遂げることもなく、ただ死んでいく。
このままじゃ絶対後悔するよなぁ、と思っていたときに決意を決めたことがあります
それは、娘がこれまでの人生を振り返った時に、この人生でよかった、と10年後に言ってもらうこと。
ゆいの人生的に考えたら、結婚期間はほんとにしんどかったからこそ10年後もきっとこの人生でよかったといえると思うんです。
実際、今も心からそう思っているし、あの時以上にしんどいことなんてないや、と思えるから。
でも、娘視点に立った時にどう思うかはわからないんですよ。
ひとり親でさみしい思いをさせてしまうかもしれないし、周りからの目を気にしてしまうかもしれない。
そんなときに、ママが離婚したから、とか言われたらすべての意思決定がただのエゴでしかなくなってしまう。
だから、エゴじゃなく、ほんとにこの意思決定を娘にとっても正解にしないといけないと思っています。
ちなみに、これは個人的な価値観ですが、どんな意思決定もエゴなんじゃないかと思っています。
離婚とか未知の領域とか、マイノリティなものに目が向きがちだけど、結婚し続けるという意思決定をすることもエゴだし、習い事をさせるのもエゴ。
だって、子どもは自分で何かを決めて行動することができないから。
結局、親の意思決定に従うしかないのが子どもという存在。
だからこそ、親は適当な意思決定はできないし、ちゃんと理由を持っていてほしい。
みんなと同じが正解でもなければ、みんなと違うことが正解でもない。
ただ、自分たち夫婦が、自分が、親として何を子どもたちに伝えたいのか、どんな経験をしてほしいのかがめちゃくちゃ大事。
それが、子どもにとってもこの人生を正解にする、ということなのではないかと考えています。
離婚を決めたときに、ゆいが大事にすることをふたつ決めました。
ひとつめは、ゆい自身が人生を楽しんでいる背中を見せ続けること。
人生って楽しいんだよって、好きなことをするのはワクワクするんだよって背中で、生き様で伝えたい。
別に親である自分を蔑ろにするわけでも、ひとりの「ほくとうゆい」という自分を蔑ろにするでもなく、どっちも本気で。
だからこそ、人生を謳歌していて、毎日生きているのが楽しそうなママでありたい。
そして、無限の選択肢を娘に届けられるような環境で育児がしたい。
結婚生活中もずっと思っていたけど、ゆいの周りはみんな自分らしく人生を楽しんでいる人が集まっています。
そんな環境だからこそ、ゆいだけじゃ伝えられない世界を伝えてくれる。
娘の選択肢が無限に拡がり、可能性は無限大であるような環境を届け続ける。
シングルになっても諦められない、ゆいの娘に対する覚悟は大きくこのふたつです。
これはゆいのエゴであり、娘の幸せにつながると信じていること。
覚悟を決めて、この人生を生きると決めたからこそ、ゆいはこの意思決定が正解になるような道を歩くだけ。
調停中は実際、不安でいっぱいでした。
シングルになって育児できるのか、ママとして一人前な自分なのかって攻め続けていました。
でも、やるしかなくなったらやるのが人間なんだと思います。
もう後に引けなくなったときに、ひとつ覚悟が決まった感覚がありました。
逃げ道を絶ってしまうというのは、ひとつ加速するうえで必要な要素なのかもしれないです。
ゆいは、ゆいなりの覚悟と、ゆいなりのエゴを突き通す人生を生きると決めました。
そしてもうすぐ1年ですが、そんな人生を生きられている感覚があります。
まだ1年しかたってないのか、という感覚が強くなるくらい、めちゃくちゃ濃い1年でした。
たまに自分の覚悟を疑う瞬間もまだあるし、自信がなくなる時もあります。
これはエゴであるだけで、娘のしあわせにつながらないんじゃないかと思うときも。
それでも、ゆいは自分が届けたい環境を娘に届け続けたいし、毎日楽しそうに笑って生きてほしい。
ゆい以上に人生を謳歌して、思いっきり笑っていてほしい。
この前後輩くんに言われましたが、ゆいの言葉の中にはいつも娘がいるらしいです。
いつでもすぐに出てくるから、想ってない意思決定なんて絶対ないと思います、って言いきってくれました。
そんな風にゆいを見てくれて支えてくれるみんなのおかげで走り続けられた1年。
もっとゆいらしく、そして、娘のことを大切に想いながら、ふたりで笑い続けられるような人生を生きていきたいなと思います。
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