こんにちは、ゆいです。
今日はどんな一日だったでしょうか。
ゆいは、なんとなく体調が悪くて昼過ぎまでずっと寝てました、貧血かな。
貧血のときは、血の気が引いて目はさめても体が起きられなくなる。
娘がいるので、保育園に行くまでは無理して動いてましたが、送迎が終わって帰ってきてからは断念。
まじで数時間布団から動けませんでした。
たまにあるんですよね、貧血で死にかけるとき。
数か月に1回くらいのペースなんですけど、こうなると何もできなくなるのが難点。
昨日の夜から調子は良くなかったけど、今日はもう完全にのんびりすると決め込んでました。
もう3月ですね、単純計算で今年も1/6が終わり。
最近は、毎日が長い気がするけど、でも1週間は短い、みたいな感じで日々が流れています。
気づいたら3月になってた。2月とかまじであっという間だった気がします。
今年の挑戦もちょっとずつ始まっていきます、その準備はある程度固まってきている気がする。
まだまだ追いついてない部分もいっぱいだけど。
この前、久しぶりに自分が病んでいた時のメモが出てきました、ほんとにたまたま。
普段と違うアプリをたまたま開けたら出てきた、っていう感覚でした。
言葉の持つ力はすごく不思議なんだなっていうのを感じました。
ゆいの中ではすべて過去のことになっていて、最近はフラッシュバックとかも全然なくて。
あーこんなこともあったな、くらいにしかならない過去なんですよね。
当時いろんなことを言われていたし、その言葉が脳内から消えたわけではない。
そして、その自分から変化したのかといわれたら、同じようなことをしていたりもすると思う。
きっとゆいは、自分のやりたいことを追いかけている結果、子どもを振り回している母親なんだと思う。
わがままだといわれたらその通りで、まだまだ子どもでしょ、と言われたら子どもなのかもしれない。
自分がそんな完璧なママじゃないことなんてわかっているし、もっとすごいママたちがいることも知っている。
むしろ、毎日働いて、ワンオペで育児をしつづけるママたちはすごく尊敬する。
ゆいにはできないから。やっぱり自分の人生を大事にしたいと思ってしまって、周りを頼っているから。
あなたひとりに任せられない、と言われたらそうなんだと思います。きっとゆいひとりじゃ不十分でしかないから。
その彼の感覚はきっと間違ってなくて。それを言われたら反抗する余地もない。
ただ、あの頃との違いは、ゆいが助けてといえるようになったこと。
しんどい時に、しんどいと伝えられる関係性の中に存在しているということ。
メモを見て、あの頃しんどかった感情がよみがえってくる感覚がありました。
文章に想いを乗せられるのが自分の強みなんだけど、負の感情まで未来に残さなくていいのに、と一瞬思ってしまいましたが。
でも、そんなものでさえも残せてしまうのが、ゆいの強みだと胸を張って自分で言えるものである証なんだと思います。
家具家電を見ても思い出せなかったあの頃の感情は、文章を通したらいとも簡単に顔を出す。
本気で毎日しんどくて、毎日泣いていたあの頃。この世の中から消えてしまおうかと思ったあの瞬間。
もう思い出せないなと思っていたけど、文章を使えば思い出せてしまうみたいです。
ただ、だから文章は面白いし、書きたいと思い続ける。想いを書き続けることはやめられない。
こうやってずっと文章を残し続けるのも、この今のゆいの想いや葛藤が、いつか誰かの希望になればいいなと思えるから。
もうすぐ書き始めて2年になるけど、当時は何をする気力も湧かない、ただ精神的に病んでいるママでした。
そのママが、自分のやりたいことをカタチにしてここまで進んで来れている。
それが、すべて文章というカタチでここに残り続けている。
自分のことを話すのがすごく苦手だったゆいが、こんなふうにブログというカタチで自己表現をしつづけられている。
泣きながら自分の想いを話してしまう。
気丈に、なんでもできるように、振る舞うピエロが、怖いって、できないって、言えるようになる。
その変化に伴う感情を、すべてこの場に残すことができたなら。
ゆいは、周りに恵まれていただけのただの女の子だから。
みんなが想像している以上に、学生生活を謳歌している、どこにでもいるただの女の子。
ただ、自分を表現しつづける女の子とちょっと仲が良かっただけで。
その子に紹介してもらった人たちが、自分で何かを実現しようと進み続ける人たちだっただけで。
その中に、どうしても一緒に仕事をしてみたいと思わせてくれて、どんな時でもついてこさせてくれた人がいるだけ。
ただ運が良くて環境に恵まれていただけの、どこにでもいるただの女の子だから。
この世は生きづらいと思っていた。
だから、立ち向かってみたいと思ったし、そんな生き方をしている人たちがすごくかっこいいと思った。
でも、生きづらさに立ち向かう世界は、自分には向いてないんじゃないかとも何度も思った。
生きてる世界が違うんだと、違う人種なんだと、諦めてしまいそうになる瞬間もあった。
それでも、ゆいが今この世界を自分らしく生き続けられているのは、ゆいを支え続けてくれた人がいるから。
だからゆいはこのブログが、誰かにとっての支えになってほしい。
そして、このブログから出会った誰かのことを支えてみたい。
そして、誰かの想いもいつかどこかに残してみたい。
自分の想いを文章に載せるように、誰かの想いも文章に載せることができたら。
そうやって、素敵な想いを他の誰かに届け続けることができるなら。そんなにも幸せなことはない。
文章が持つ可能性は無限だから。言葉が伝えられるものはどこまでも拡がっているから。
何かしらのカタチで、その可能性を信じ続けたいなと思う今日この頃でした。
ゆいのpaletteでゆいの彩を、誰かのpaletteで誰かの彩を。
そして、そのふたつの彩を混ぜ合わせられるco-paletteを。