こんにちは、ゆいです。
今日はどんな一日だったでしょうか。
2月も今日で終わりですね。
個人的には、12月1月と変動幅が大きな2か月を過ごしてきたのですが、ちょっと2月は緩やかだった気がします。
マイナスやゼロからの幅は大きくなるし変化量も感じられる。
でも、プラスからプラスへの成長って自覚しにくいし、幅を大きくするには何か踏み台が必要になる。
3月はどんな変化を感じたいのか、何を得て終わるのか、を考えつづけたいと思います。
最近は、やっと自分が心の底からやりたいと思えることを追いかけられている気がします。
ずっとゆいは、誰かの判断軸の中で生きてきました。
誰かの正解を探して、それがあたかも自分の正解のように生きていたんだと思います。
自己実現の世界に飛び込んだのも、その中で生きる人の正解を追いかけたからかもしれない。
かっこよくて、自分もこんな風に生きることができたら幸せなんじゃないか、って本気で思いました。
でも、手段を真似していてもその人みたいにかっこよくは生きられない。
それは見せかけのまねごとでしかないから。
ずっと、着ぐるみを着ている感覚で生きてきたのですが、それも、誰かの正解を追いかけ続けていたからかもしれない。
自分じゃない、誰かの着ぐるみを着て、誰かの仮面を被って。
ずっと自分で決めることから逃げてきた。
だって、自分が決めたら全部の責任が自分に襲いかかってくるから。
誰かにとって嫌な意思決定だったら、その人から嫌われるから、その人の周りから邪魔者扱いされてしまうから。
このブログだって、自分がやりたくて始めたのか、当時のゆいによさそうだから始めたのかは正直わかりません。
文章を書くのは好きだったし、得意だって言える気がしていた。
ただ、当時のゆいはほんとに脆くて、とりあえずなんとなく継続するものが欲しかっただけのような気もします。
そうじゃないと自分が大切な人たちの目の前から消えてしまいそうな感覚があったから。
誰かに何かを届けたい、よりも、自分がみんなと一緒にいられる自分でありたい、が強かったんです。
書き始めた当初はほんとにリハビリだったんだと思います。
書くことに意味があった、書き続けることに意味があった。
当時のゆいは、自分にやれることに目が向かない人になっていました。
未だに見失うときもあるけど。
自分には何もない感覚になったり、周りの人たちに見限られるような気分になったり。
自分だけがどこかに置いていかれるような、放置されてしまうような、そんな漠然とした恐怖に襲われる。
何もない自分が嫌になって、そんな自分を見せたくなくて、いつのまにか素直な自分じゃなくてつくりものの自分を披露しようとする。
そんなゆいの着ぐるみ。
でも、ちょっとずつ最近はありのままのゆいとして生きられている気がします。
それは、自分のことが少し好きになれたからなのかな。
自分のことがめちゃくちゃ嫌いでした、なにもできなくて、何にもなくて、そんなゆいが大嫌いでした。
そんなゆいを素直に表現したらみんなにも嫌われる気がして、ずっと強がって生きてきました。
素直に甘えるとかほんとに苦手だった、親にもわがままは言えなかった。
だからゆいは自分のことを信じられずに、誰かの正解を追いかけ続けていたんだと思います。
だって、きらいなひとのいうことなんて信じたくないし、従いたくないから。
でも、どんなゆいでも受け止めてくれる人がいて、肯定してくれる人がいる。
ゆい以上にゆいのことを信じて、応援して、支えてくれる人たちがいる。
やっと、ブログを継続してきたこの10か月も、今作っている女子会も含めて、自分のことを認められるようになってきました。
うまくいかないこともいっぱいあって、失敗するのがほんとうにいやで。
でも、どんな経験もちゃんと意味があったんじゃないかなと思っています。
でも、過去の経験を過去の経験としてためていたとしても、今の自分にはなれなかったと思います。
この1年は自分の中で療養期間としていました。
とりあえず日常生活を普通に送れるようになることに意味があったから。
でも、ほんとに日常生活だけを考えていたら、日常生活は送れなかったかもしれない。
受験とかで経験があるかもしれませんが、目標の100%に到達するのは難しい。
だからこそ、目標以上のことを目指して動き続けるしかない。
コンフォートゾーンの中で甘えずに、毎日1%でもいいからコンフォートゾーンを拡げていくしかない。
そうしないとやれることは拡がらないし、生きたい人生を生きられないから。
挑戦しなくても、安定した人生は生きられると思います。
現に、働こうと思えば働ける場所はいくらでも存在する。
雇用されておけば毎日言われたことをしているだけである程度の給料とお休みをもらえる(企業にもよるけど。)
でも、自分を幸せにできる人は自分自身しかいない。
だってみんな違う人だから。
理解してくれているように見える人も、そんなふりをしているだけかもしれない。
理解してくれていたとしても、その人にもその人の人生が存在する。
自分の人生を一番考えられるのは自分だけ。
じゃあ、自分が動かないと何も始まらないし、自分が覚悟を決めないと自分を幸せにすることはできない。
失敗は恥ずかしいことだと思っていました。
失敗しない人生を生きられる人が、すごい人なんだと思っていました。
でもほんとはそうじゃなくて。
すごい人は大きな失敗ができる人。失敗の可能性があっても挑戦できるから、他の人と違うことができる。
何も考えずに失敗するのはよくないけど、考えた結果の失敗なら次に活かしたらいい。
半年前のリハビリ期間を経て、ゆいはまた違う自分になれそうです。
しんどかった日も、何とかして向き合っていた日も。
もう経験したくないと思う日ばかりだけど、あの日があるから今の自分があるといえる。
どんなママでありたいのか、どんな自分でありたいのか。
まだまだ100%本気かといわれたらわからなくなる瞬間もあるけど、それでも挑戦し続けたいと思える。
それは、ただ生きていても達成されないことを知っているから。
挑戦しないと、自分でつかみ取りにいかないとなれない自分だから。
ゆいちゃんは価値観を変えるタイミングなんじゃない?と昨日言われました。
まだちょっと腑に落ちていない部分も多いです。
でも、言葉になっていない部分を言葉にするいい機会なのかもしれない。
ゆいが、一番幸せだと思える人生を生きるために、邁進していきます。
励みになるので、どんなコメントでもお待ちしてます~!!