こんにちは、ゆいです。

今日はどんな一日だったでしょうか。

ゆいは最近、連絡を取る人、取る内容をちょっと絞って生活をしています。

というのも、日曜の夜から丸々1日くらい誰とも連絡が取れない期間があって。

月曜日は、仕事のLINEも動くし、心配LINEもDMも来るけど通知が来てもすぐ消してしまう、みたいな感じで生きていました。

理由は単純明快で、ちょっとしたフラッシュバック。いわゆるPTSD。

自分を責めるきらいな声が脳内で響きわたっていました。

そして、寝たくて目を閉じたら余計声が大きくなるし、絶望で満たされた光景が目の前に浮かぶ。

未だに、必要連絡しか基本的に取っていないです。未読LINEがたまっている。

でも、なぜか仕事は進んでいくし、こうやってブログもちゃんと更新できる。

不思議なことにInstagramは更新できないけど、Twitterは更新できる。

原因となる経験をしたときのゆいは、すごく弱かったんだよなって思います。

自己肯定感が低くて自信もなくて、追いかけているものはあるけどそれに意味があるのかもわからなくて。

大切な人のそばに自分がいる価値も、自分ができることもわからなかった。

ママをしながら夢を追いかけるゆいを、「本気じゃない」って責め立てる空気がすごく嫌いだった。

ゆいなりに、本気で、どっちも大切にしたくて選んだ選択だったから。

自分としての人生も、ママとしての人生も、叶えられるって信じてたから、信じたいって思ってたから。

もともと、お金を稼ぐ、という行為に対する嫌悪感が強い人間でした。

「ありがとう」で全部請け負ってしまう人間で、それでいいって思っちゃってて。

でも、余計にお金を稼ぐことが嫌いになった、お金を稼いだら人はこんなに変わるのかって思った。

もちろん、今でも感謝はしています、それは間違いなくそう。

ただ、ゆいは育児をしながら自分の人生を生きる覚悟を決めたように、彼は彼なりに、家族のために働きながら自分の人生を生きる覚悟を決めたんだと思っていたんです。

「俺は稼いでやってるんだから」って、なんでその言葉が出てくるのかほんとに理解できなかった。

でも当時のゆいはすごく弱かった。

だから、彼の言ってることが全部正解なんだって思っていた。

ママとして足りないところも、奥さんとして不十分なところも、ひとりの人間としての覚悟が足りないところも。

全部全部、彼が正解なんだと思っていた。何もないゆいには、ごめんなさい、って謝ることしかできないって思っていました。

ゆいは、真正面から彼に向き合えなかった、向き合ったらどんどん自分のダメなところばかり出てくると思っていたから。

これ以上、自分が生きている意味を問いたくなかったし、今のままじゃここにいる価値ないよ、って言われたくなかったから。

でも、今だから思います。

生きてる価値がない人なんていない。できないところも、苦手なところも含めてそれぞれの個性で魅力で。

できないところはお互いに補いながら生きていけばいい。

そして、補い合う部分は、お互いで相談しながら決めていったらいい。

女性が、男性が、パパが、ママが、とかほんとにどうでもよくて。

ただ、自分と自分の目の前にいるパートナーと。そしてこれから増えていく家族と。

今目の前にいる人たちと一緒に、お互いが助け合うところを、大事にするところを決めたらいい。

でもそんなのは口で言うほど簡単なことじゃなくて。

だってそもそも、自分が何を助けてほしいのかも、自分が何を大事にしたいのかもわかってないから。

相手に何を大事にしてほしいのかを伝えられるほどの言語になってないから。

相手の言葉になっていない求めているものを感じ取れるような、エスパーみたいな能力を持っていないから。

だから、価値観をすり合わせるのってすごく難しくて、「価値観の不一致」という理由で別れるカップルがいっぱいいる。

でも、よく考えてほしくて。

価値観が不一致することなんて当たり前で、そもそも、価値観が一致することのほうがあり得ない。

だって、そもそも生きてきたバックグラウンドが違うから、価値観を形成した原体験が違うから。

双子でも違うのに、赤の他人と価値観が一致するはずなんてない。

ただ、擦り合わせられなかっただけ、擦り合わせられるほどの言語になってないし、それを言語にして理解し合おうと思えるくらいの愛がなかっただけ。

それを、「価値観の不一致」というわかりやすい言葉に言い換えてるだけ。

向き合えなかった自分を、自分たちを、「別れる運命だったんだよ」って正当化して認めるために。

ちょっと棘のある言い方かもしれないですが、最近はずっとこんなことばっかり考えています。

もしかしたら私たちも一緒にいられる未来があったのかもしれない。

お互いが、自分のことをもっと説明できていたら、相手のことを理解しようと努力できたら、いくつものズレも理解したいと思えるほどの愛があれば。

でも私たちは、自分のことも話せなくて、ただ、自分の言い分を主張することしかできなくて。

相手の主張を受け止めて咀嚼して理解してあげられるほどの余裕もなくて。

いつの間にか、関係が破綻していた、ただ、娘という存在だけがつなぎとめている関係だった。

彼が当時どう思っていたかは分かりませんが、ゆいは別居前半年くらいはもう関係は終わってると思っていました。

心は死んでた、それでも、娘のために向き合わないといけないと思っていた。

どうにかして頑張らないといけないって思ってた。

その理由はふたつあって。

ひとつは、娘にはパパがいる家庭で育ってほしいと思っていたから。

別にシングルを否定するわけじゃないけど、どこかで苦しむ可能性があるなら、その要素はできるだけ排除したかった。

もうひとつは、親の喧嘩を娘に見せたくなかったから。

ゆいは、パパとママの喧嘩を見るのがすごく嫌いでした。

どこか凍った空気を感じる瞬間がすごく嫌いで、いつの間にか、ピエロを演じている自分がいて。

何も気にしてないふりをして笑って、後ろを見て泣いてました。

家族で出かけているときに、車内で喧嘩を始めたふたりを見て、窓の外を見て鼻歌を歌いながら泣いてたこともあります。

両親に笑っていてほしくて、喧嘩してほしくなくて、ニコニコ笑って誤魔化していました。

聞き分けのいい、喧嘩の火種をつくらないお姉ちゃんでいようと思っていました。

これはいまだに変わらない、なにか自分が火種を消せたんじゃないかって、なんでそこまで考えて行動できなかったんだって。

今実家生活をしながら、自分を責める瞬間があります。

ふたりの喧嘩が始まると、感情を殺す自分がいます。

自分と彼の関係を思い出すから、自分はなんてだめなんだって自分を責めてしまうから。

ただ、今なら頑張らなくていいやん、ともいえる気がしていて。

シングルでも娘は楽しそうに生きています、昨日はじいじとばあばがいなかったので、娘とふたりでデートしてきました。

じいじとばあばはもちろん、ゆいの周りの大人にもすごく愛されて育っています。

保育園でも、友達やお兄ちゃんお姉ちゃんにすごい好かれてるみたいです。

この前お迎えに行ったら、玄関まで先生と一緒にお見送りに来てくれる友達がいたり、遊びを止めて準備をしている娘のもとにバイバイを言いに来るお兄ちゃんがいたり。

怒っちゃうことはあるけど、でも、喧嘩を見せることもなくなった。

仕事の関係で最近は忙しいのでちょっとさみしい想いをさせてるかもしれないけど、でも、一緒にいる時間を大事にしたいと思える。

最近のゆいは、ゆいがどうしても大事にしたいことを大事にして生きていられている気がします。

心からやりたいと思えることを追いかけてるし、娘との時間もゆいなりに大切にできている。

それは、ゆいの中で大事にしたいことを言葉にできたから。

そしてそれを、ちゃんと誰かに伝えられるようになったから。

ゆいの周りにいる大切な人たちは、みんな、ゆいの大事にしたいことを理解しようとしてくれる人たちです。

育児経験があるわけでもないし、男性もいっぱいいるし、わからないことだらけだと思うけど。

それでも、ママをしながらやりたいことを追いかけ続けるゆいを、理解しようとしてくれる。

そして、ゆい自身もみんなの大事にしたいことを理解したいと思える。

パートナーとの関係とはちょっと違うかもしれないけど、それでも、一緒に生きる人、周りで生きてくれる人、という意味では同じ分類ができると思っていて。

結局、人生として近くにいる人とは、お互いの譲れない部分を言葉にして理解しあえる関係が必要なんだと思っています。

どうしても譲れない部分で衝突したり、何回も同じことを指摘しないといけないような人だと、どんどん心が疲れちゃうと思っていて。

そうしたら、一緒にいられなくなってしまう。

だからゆいは、カップルとか夫婦だけじゃなくていいけど、「大切だ」って、「一緒に生きていきたい」って思っている人たちの直面する課題を解決したい。

いつかその想いだけじゃ乗り越えられない壁が存在するから。

でも、その想いを大事にしてほしいと思ってしまうから。

結婚は好きだけじゃできないけど、好きな人とする結婚で円満に生きていけることが絶対しあわせだから。

きっと、この人でいいのかな、っていう不安が生じる瞬間がある。

その時に、よりお互いのことを知れるように、お互いがより「この人がいい」って思えるように。

離婚してもうすぐ1年半、別居して2年です。

精神科に行ったくせに薬で治すのが嫌でやめたのは自分なのであれですが、それでもいまだにこうやって落ちる瞬間が存在する。

だからゆいは、ゆいみたいに苦しむ人はひとりでも多く減ってほしい。

でも、結婚を否定したいとか、子育てがきついって言いたいわけじゃないので。

幸せな結婚が生み出されるように、「結婚」という2文字に「後悔」という2文字がかからない世界を目指して、進んでいきます。

悩んでいるから相談したい、でも、興味あるから話したい、でも、なんでもコメントください~

最近外にエネルギー向いてるので、いろんな人とお話したいです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

次の投稿

澱みの沼にはまって沈む前に、自分のことを好きになるには

月 7月 15 , 2024
こんにちは、ゆいです。 今日はどんな一日だったでし […]