こんにちは、ゆいです。
今日はどんな一日だったでしょうか。
最近娘の夜泣きがひどくて。。。
毎日2回くらい夜中ギャン泣きして起こされます、トホホ。
なんかどれだけ寝ても眠くて眠くて仕方ない感じなんですよね。
見かねたじいじが、午前中は娘と遊んでくれていて。
私は長めに寝かせてもらいました。
たまにこうやって休む時間をつくってくれる両親には感謝しかありません。
ゆいの中では、自分のママとしての生き方も大切にしたいので、自分のことしながらも娘といる時間も大事にしたいけど。
いや、これに関しては、自分としての人生とかじゃなく、普通に娘に起こされて寝不足なのか。笑
今日は、ゆいが何を目指して生きているのか、それがどんな世界なのかをここに残したいなと思って。
あんまり何をするか、とか、何をつくるか、に対するこだわりは存在しなくて。
これやらな死ねない、みたいな情熱を持っている人が周りにはちらほらいるんですけど。
ゆいにはそういう情熱は基本的に存在しないんですよね。
ただ、そんなゆいでも、いくつかのゆいなりの彩は存在するんですよ。
誰かの役に立つことがしたくて、それを自分で実感できることがしたくて。
もともと教員という道を目指している学生でした。
小学校の卒業文集に書いた将来の夢は「保育士」でした。
それはたぶん、幼少期から年下の従姉妹のお世話をして感謝をされてきたから。
ここなら、自分も役に立てるって心のどこかで思っていたんだと思います。
もちろん、子どもや子どもの笑顔が好きだったのは大前提ですが。
高校の担任には何度か進路面談をしてもらいましたが、ずっと変わらず「幼児教育を学んで先生になる」と言い続けていました。
子どもの笑顔が好きで、子どもの笑顔にかかわりたい、と思って居続けていました。
というか、自分にそう言い聞かせていました。
たぶん先生にならない選択肢を選んだと知ったらびっくりするんじゃないかな。
ゆいの将来の夢が変化したのは大学に入学してからでした。
大学の授業の中で幼稚園とか保育園の基準を知ったり、実際に現場に行ってみたり。
そんなことをしているうちに、気づいたことがあって。
別に自分が関わらなくても、幼稚園にいる子どもたちは笑顔だし、むしろ家庭にいる時間のほうが長い子どもが多いやん。
これが、ゆいが教員という夢から離れる原点です。
幼稚園の基本保育時間って4時間なんですよ。
寝る時間が長くても10時間とかだと思うと、家族と過ごす時間は短くても10時間。
全然家で過ごす時間のほうが長いやん、って感じでした。
あとは、保育所とか幼稚園にいる先生は基本的に子どもが好きな人が多くて。
私の友達にも卒業して先生になった友達がいるんですけど、みんな子どものことがほんとに好きで、めちゃくちゃ子どもたちのことを考えてる。
だから、自分がいなくても幼稚園や保育所にいる子どもたちは笑って居られていることが多い。
現場じゃなくて、子育て支援とか保護者教育の分野に手を伸ばそうと思ったきっかけになります。
その頃に思っていたのが
自分を犠牲にして子どものために生きているお母さんがすごく多いんじゃないか
ということでもありました。
これが今ゆいがシングルマザーをしながらも自分の軸を譲らず生きている根源。
子どもたちの笑顔のためには、ママの笑顔が大事だと思っていて。
ママの笑顔のために、ママにも一人の人間としての人生を送ってほしいと思っていました。
だからゆいは、ママになってもシンママになっても、自分の人生をあきらめずに生きようと模索しています。
この辺の話は、また別のところで書きます、たぶん長くなりすぎる、笑
子育て支援に関心をもった頃は、託児所とカフェが併設されているような場所はつくれないのかなぁ、とか考えている時期もありました。
別に今も目指してないかといわれたら、そういうわけでもないんですけど。
今は託児所とカフェにとどまらず、そこに学童の要素とかシェアハウスの要素が入ったらいいなぁと思っています。
それがゆいが唯一自分でつくりたいと思ったもの。「第二の家」。
今の子どもたちには「家」と「学校」が主要な居場所だと思っていて。
あとはまぁそれぞれ習い事とかはあるかもしれないですけどね。
特に野球とかサッカーとかのスポーツ系は居場所としての機能が働きやすいかも。
同じ目標に向かって、一緒に過ごす時間が長くなれば長くなるほど、居場所として認識されやすい。
というか、周りのメンバーが自分にとっての居場所になっていく。
ただ、やっぱり家と学校しか自分の場所がない子どもたちが多いのが現実だと思うんですよね。
家と学校だけじゃ、自分が本音で話せる人といられるかといわれたらわからなくて。
ゆいは、親にもあまりわがままを言わない子どもで、友達の顔色を見る子どもでした。
あとスポーツはしてたんですけど、自分のチームには同級生がいなくて。
どこもちょっとずつ自分をつくっている場所でした。
あとは、家族と喧嘩したり、なんか意見が合わなかったりすると家がいづらくなることもあると思っていて。
でもそんなときに行く場所ってそんなになかったりする。
学校も放課後じゃいけないし、習い事もなければいけない。
そんな子どもたちの居場所をつくれないかなぁ、と思ったんですよね。
いわゆる、サードプレイス、ってやつです。
家と学校以外にいける場所。
ただ、「いける」じゃなくて「帰れる」という表現にしたかったから、「第二の家」という言葉を選んでいます。
ゆいなりのちょっとしたこだわり。
血縁関係とか関係なく、「かぞく」にはなれるんじゃないかなと思っていて。
ゆいの思うかぞくの定義は
自分をつくらず素でいられて、お互いの夢を応援しあえる関係性。
ちなみにゆいが「かぞく」とひらがなで書く場合は、血縁関係は関係ないかぞくの話をしています。
反対に血縁関係のある家族は漢字で書いてる。
子どもを見下しいている表現にしないように「供」という漢字を使わないこだわりのように。
「家族」と感じで表記しちゃうと、「祖先からの」みたいな意味合いが強くなる感覚があって。
そうじゃなくて、もっと緩くてふわっとしたつながりを大事にしたくてひらがなで書いてます。
ちなみに、家として構えたことはまだないんですけど、誰かにとってのそういう場所になれてた瞬間はあるんじゃないかなと思っていて。
ゆいは、実家とばあちゃんの家で生活してた以外に、シェアハウス期間が半年と、元旦那と同居してた期間が約2年あるのですが。
「今日は家に帰りたくない」とうちに来る友達がいた時期もあったし。
ピンポンも鳴らさず「ただいま」とうちに来る人もいた。
うちの鍵をもって、先にお風呂入って布団に入ってる友達がいたり。笑
そこに私たちが「ただいま」と帰ってくる感じ。
日常的に必要な人は少ないのかもしれないし、普段は必要な居場所かもしれない。
でも、ほんとにしんどい時に受け止められる場所であり続けたい、と思っています。
それが「かぞく」であり「第二の家」じゃないかなって。
ゆいは今、誰かにとっての「かぞく」になりたいなと思っていて。
その誰かが、他の誰かとも「かぞく」になりたいと思ってくれたらどんどん「かぞく」という概念が拡がっていく。
そんなことを目指して、いろんな人と出会ってお話しています。
元気になってその人の彩で人生を彩り続けてほしいけど、やっぱり息切れはしちゃうから。
そんなときに休憩できる場所をつくりたいし、そんな存在であり続けたい。
将来的には年齢とか関係なく、いろんな人の居場所となるような「第二の家」をつくります。
そして出会ったたくさんの「かぞく」と一緒にこのco-paletteを彩れたらいいな。
今日もありがとうございました。
明日も今日よりも素敵な一日でありますように。
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