こんにちは、ゆいです。
今日はどんな一日だったでしょうか。
ゆいは、今日も新居に荷物を運び、片づけをしていました。
最近大阪くるときは毎回キャリーバッグがお友達です。いつも一緒。
生活するために必要なものはある程度揃ったんじゃないかな。
ものが多いので片づけするために買い足すものとか、より良い空間にするためにこれが欲しいよね、とかはあるけど。
最低限の生活はできるようになってきたような気がしています。
これまでの引っ越しは、一度に大荷物を移動させることが多かったので、こんな感じでこまごまと移動させていくのははじめてです。
ちょっとずつ自分の拠点が移動していくのは、今もまだなんとなく変な感じ。笑
2拠点生活をこの2か月くらいは続けていましたが、一旦この週末で完全移住です。
またしばらくしたら2拠点生活始まるかもだけど。笑笑
そんな生活も楽しくていいかなぁ、という気がしています。
ひととともに生きることはすごく難しいことで。
それぞれの家庭による当たり前が違う。そして、家だからこそ、その当たり前の違いが大きな壁になることもある。
毎日掃除はするのか、日常の掃除には何が含まれるのか、生活リズムは、食事は。
挙げだしたらキリがありませんが、当たり前だと思っていることが、他人にとっては全然当たり前じゃなかったりする。
それが、目に見えやすいのが日常生活をともにすることだと思っています。
ひとは違うんだということが身をもって体感できる。ゆいが結婚生活の中で嫌というほど感じた家庭による違い。
これは別に、どっちがいいとか悪いとかじゃない。親がいいとか悪いでもない。
ただ純粋に、親が何を当たり前にしているのかで、子どもの当たり前が変わっていく。
親がどんなリズムで生活をしているのかで、子どもの当たり前が変わっていく。
超単純な例を出すと、家に帰っても親が帰ってきてなくて、自分でご飯を準備する生活をしている子と、親がずっと家にいて、帰って食卓に座ったらごはんが出てくる家庭の子だと当たり前が違う。
前者は、食事は自分で準備するもの、だと思っているだろうし、後者は、食事は親が準備してくれるもの、だと思っているはず。
お母さんがご飯の準備をするものだ、と思った男の子は、自分は準備しなくていいんだ、奥さんに任せよう、という思考回路になる。つくらなかったら「母親失格だ」と思ってしまう。
自分のごはんは自分で考える必要があるし、つくってもらうなら連絡するものだ、と教えられた子は、連絡をしてこない人に、「常識がない」と思ってしまう。
だって、それが当たり前だと教えられてきたから。
でも別に、その親が悪いわけではないんですよね。そして、その子が悪いわけでもない。
だって、それは生活してきた家庭環境がそうだっただけであり、それが自然なものだったはずだから。
だから、当たり前は人によって違うんだ、という視点が必要になる。
これは気を遣うべきとか、自分の意見は押し殺したほうがいいとかそういう話じゃなくて。
もっとお互いを尊重する考え方が必要になってくる、という話。
自分の当たり前は持っていていいと思うし、こだわりもお願いもあっていいと思う。
あっていいというか、あるのが人間らしいとさえ思う。
でも、それを誰かに強要していても何も変わらない。人とともに生きることはできない。
だって、ひとによって当たり前もこだわりも違うから。
だから人は対話をする。だから人は、人のことを考える。だから人は、自分のことを素直に表現する。
ひととともに生きるために必要なことは、自分の求めていることを理解して素直に伝えることがまず第一。
その後に必要なのは、相手の求めていることに耳を傾け、受け入れること。
そして、お互いの中で一番納得のいくカタチを見つけること。
実はすごく難しくて、失敗の連続になる可能性が高い。納得のいくカタチなんてそう簡単には見つからない。
けど、諦めずに素直に正面からぶつかり続けることに意味がある。
だって、逃げても何も解決されないから。
ゆいは、逃げた人間でした。向き合いきれなかった人間。
過去に「ごめんね」と思いながら向き合いきれず、つなぎとめられなかった人たちが何人もいます。
もっと誰かの人生に本気になれたらって、自分の人生にももっと本気になれたらって、何度も思って、でも変われなくて、何度も諦めそうになってきました。
ゆいなんかが誰かの人生をイロドルきっかけをつくれるのか、なんて、ずっとわかっていませんでした。
ほんとは無理なんじゃないかって、ずっと思っていた。今もまだちょっと思っているかもしれない。
でも、向き合ってみないと何も始まらない。
それは、自分のやりたいことに対してもそうだし、大切な誰かに対してもそう。
やってみないと何も始まらない。
シェアハウスは、ここから本格スタートです。
ずっと、やってみたくて、でも一歩踏み出す勇気が出なかった領域への挑戦。
怖さももちろんいっぱいあるけど、でもやってみないと始まらないから。
はじめてみたらね、わからないところで縁があったりして、ちょっと面白いことになりそうです。笑
不思議な、でも、いろんなイロが混ざったパレットになる気がする。
このパレットで描く絵はどんなものになるのか、ここから先で、どんな未来が待っているのか。
ゆいは、この場だからつくれるco-paletteで、真っ白なキャンバスにみんなで絵を描いてみたい。
みんなバックグラウンドも年齢も思い描く未来もバラバラだから、絶対当たり前は違うけど。
でも、全然違うからこそ、想像もつかないところまでいけるような気がする。
だって、それぞれのこだわりがいっぱい詰まった、自分だけじゃ表現できない彩に広がっていくはずだから。
ゆいのpaletteでゆいの彩を、誰かのpaletteで誰かの彩を。
そして、そのふたつの彩を混ぜ合わせられるco-paletteを。