こんにちは、ゆいです。

今日はどんな一日だったでしょうか。

ゆいは、娘の遠足があったので朝からお弁当をつくりました。

はじめて娘のためにつくるお弁当。

ただ雨だったので、結局遠足には行けず保育園で食べたみたいですが。

完食して帰ってきました。

先生からの手紙によると、アンパンマンがかわいくて最後まで残していたみたい。

明日もお弁当?と聞かれました。明日からまた給食生活です。笑

毎日お弁当をつくるお母さんってほんとにすごいんだなと思わされました。

朝6時起床の生活を毎日は続けられない、保育園に送ったあと眠すぎて30分くらい仮眠してました。

昨日は母の日でしたね。

うちの母の日は一昨日晩ごはんを食べに行きました。

仕事で忙しくてプレゼントを買いにも行けず、というか見に行ったけど何がいいのか本当にわからなくて買えず。

同性だけど母へのプレゼントは毎年難しいです。去年の誕プレは何も話してないのに弟とほぼ同じものでした。笑

結局決められなかったのでご飯になりました。

娘は保育園で母の日ではなく「家族の日」と題して似顔絵をプレゼントしてくれました。

うちもそうですが、シングルが増えてくる時代に合わせて「家族の日」と表現するようになるんだな、としみじみ。

ちなみに、いただきますのあいさつには「おとうさま、おかあさま」という言葉があります。

娘は「おかあさま=ママ」さえもまだ脳内で結びついてないので、意味も分からず話しているみたいです。

というか、「さま」ってなんやねん、と思いながら毎日娘のいただきますのあいさつを聞いてます。

いつかパパの存在を聞かれるんだろうなぁ。

さて、GWも開けて1週間。個人的にはイベント前なこともありちょっとバタバタしながら毎日が流れている感覚があります。

いそがしいのも幸せで、考えることがいっぱいなのは大変だけどどんどん未来にワクワクできる。

こんなにも、うまくいくか不安で、でも、どうしてもうまくいってほしいと思えるものをつくるのは久しぶりです。

ほんとにずっと何かを転用してきたんだなという感覚。

別に悪いことじゃなくて、価値があると確信できるものを届けるのもめっちゃいいことだけど、今のほうがやりたいことやってるなと思えます。

もし思い描いている場づくりができなかったとしても、また修正して続けるのみですが。

まだ見ぬ新しい世界に対する怖さや不安と、そして、ワクワクでいっぱいです。

最近は、ありのままで好きなものを好きだといえるようになりました。

誰かに合わせて自分の意見を曲げることもなくなりました。

この1か月くらいでほんとに人が変わったんじゃないかな。

ずっと、自分で何かを決めることがすごく怖くて、誰かに背中を押してもらわないと決断できないタイプの人間でした。

そして、言ってることがコロコロ変わるのもすごく嫌で、宣言したものはしなくてはいけない、みたいな強迫観念に駆られていることも多かったです。

宣言したらやらないといけなくなるから宣言しない、みたいなことも多かった気がする。

ひとりで悶々と考えて、リスクとか失敗する未来ばっかり見て、不安になって。

でもやっぱりやってみたいなぁ、という気持ちが消えないから誰かに相談して背中を押してもらう、みたいな感じ。

でも最近は、不安もあるけど面白そうだしやってみよう、みたいな感覚が強くなった気がします。

決めることがずっと怖いと思ってたし、自分に襲ってくる責任ばかりに目が向いていた。

怖くて怖くて仕方がなくて、なにかを変えて失敗するくらいなら現状維持がいいって思ってたんです。

これは昔からの思考の癖で、自分という存在自体変えるのが怖くて。

優等生、聞き分けのいいお姉ちゃん、という周りからの評価を変えないような生き方をし続けていました。

ただ、ありのままのゆいを認めてくれる人たちと、ゆいの未来を一緒にワクワクしてくれる人たちのおかげでやっとありのままの自分が好きになれた気がします。

なんでも卒なくこなせる、いわゆる全部を80点でキープできる感じの人間。特に勉強とかはそんな感じでした。

だから、苦手だった英語を「苦手だ」というのがすごく嫌でした。

この子できないじゃん、って誰かに見られることがすごく不安だった。

なんでもできるゆいであろうとしていました。ゆいはずっとそんな着ぐるみを被っていた。

でも、ゆいは別に完璧じゃなくて、ゆいには足りないところもたくさんあって。

だから、誰かとともに生きるし、いろんな人に助けてもらう。

ただ、そんなゆいだから持っているものがあり、それがあるから笑ってくれる人もいる。

ありのままの、自信がなくてそれでも必死に進むゆいをかっこいいと表現してくれる人がいる。

ゆいにあるものを数えてくれる人がいて、ゆい以上にゆいのことを信じてくれる人がいる。

ずっと、誰かと比較してないものばかり数えて、自分にあるものが見えなくて。

何もない自分を隠したくてゆいは着ぐるみを着ていました。

でも、何もないわけなくて、今のゆいには追いかけたい夢があり、これまで積み上げてきた経験がある。

やっと着ぐるみを脱いだ自分を認められるようになりました、自分にあるものを数えられるようになった。

苦手だった自分が悩んでいることや考えていることをそのまま表現することも、今はちょっとずつ克服しています。

「そういう時はね、こうやって言ったらいいんだよ」と笑って、ゆいが自分らしくいることに対して背中を押してくれる人のおかげです。

誰かと比較しても仕方ないんですよ、だってみんな違うから、みんな違ってみんないい、といわれる世界だから。

あなたにしか出せない魅力がある、あなたにしか伝えられない言葉がある。

世の中にはいろんな人がいて、何気ない言葉が誰かにとっては言われたくない言葉だったりする。

同じように、誰かの何気ない言葉があなたを傷つけることもある。

ゆいもいろんな何気ない言葉を聞いて涙を流してきました、自分は間違ってるんじゃないかって思っていた。

強くなりたいと思った、自分だけで何でもできるくらい強くなったら誰にも文句言われないんじゃないかって。

だからゆいは、昔からずっと着ぐるみを着ていた、着ぐるみを脱ぐことができなかった。

でも、別にひとりで何でもできるくらい強くならなくていい。

わかってくれない相手にわからせるために強くならなくていい。

弱くてよくて、ひとりじゃできなくて問題ない。

誰かに助けてって叫んでいいし、一緒にやってほしいって言っていい。

わかってくれない相手に時間を使うくらいなら、そんな人と離れてわかってくれる人と一緒にいればいい。

まぁこんなのは理論なわけで、感情が追いつかないこともあるのはわかっています。

これまでのゆいは、この人だけじゃなく、みんなわかってくれないんじゃないかって不安になっていました。

わかってくれない人が大多数なんじゃないかって、ゆいの目指すものは間違ってるんじゃないかって。

ありのままでいることで、大切な人にも見限られるんじゃないか、呆れられるんじゃないかって。

きっともうあきれられてるよ、なんて悪魔の声みたいな言葉をかけられたこともあります。

そのたびにどんどん着ぐるみを脱げなくなっていた、大切な人にほどありのままの自分を表現して嫌われたくなくて。

見限るとか呆れるとかないでしょ、って言われながら、それでもずっと怖くて着ぐるみを着ていました。

やっと、そんな悪魔のような呪縛から逃れられているような気がします。

ありのままのゆいを、素敵だといってくれる。追いかけたい夢を語ったら、かっこいいって言ってくれる。

だから、ありのままの自分でいたいと思える、やりたいことをやり続けたいと思える。

それでもたまにね、漠然とした不安感に襲われる瞬間があります。

ゆいを闇に引きずり込む嫌な声が頭の中を響き渡る。

それでもゆいは、ありのままの自分が大切にしたいことを大切にしたいと思う。

心から笑っている瞬間を、心からやりたいと思えることに挑戦している瞬間を、人生の中で増やし続けたい。

そしてそんなママの背中を、娘に見せ続けたい。

でもゆいは、自分だけがそんな風に生きられても、うちの娘だけがそんな環境で成長しても幸せだと言い切れなくて。

もちろんそれも幸せなんだけど、もっといろんな人に拡げたいと思ってしまう。

だから、だれもが普段着ている着ぐるみをちょっと脱いでみようかなと思えるような。

誰かの前でつくっている「自分」という着ぐるみを、まず一枚脱いでちょっとありのままに近づけるような、そんな居場所をつくりたい。

あなたの着ぐるみは何ですか?どんな自分をつくって、どんな自分を表現しようとしていますか?

ちょっとありのままに近づける場所を、ちょっとありのままを表現してみてもいいかなと思える場所を。

自分には何もないって、ちょっと強がって見せているあなたに。

気になる方はお話しましょう~

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