こんにちは、ゆいです。
今日はどんな一日だったでしょうか。
ゆいは、この週末は結構家族でのんびり過ごしていました。
昨日は父の日なのに父からお休みをもらって、午前中はちょっとマッサージに行ってきました。
リフレッシュの時間ってやっぱり大事ですよね。
たまにこういう時間をつくってくれる人がいるのがすごく救いです、ひとりじゃ育児してられないってこういうことだなぁ。
今もだしこれまでも、ゆいはひとりで育児をしているということはたぶんあんまりなくて。
ずっと誰かがゆいの育児生活を支えてくれています。
預かってくれる、とかだけじゃなくて、何となくみんなで娘の幸せを願ってくれている感覚。
あと大きなところでいうと、大学や周りの人間の支えがなければ、ゆいは大学を卒業できていないと思います。
今でこそただのシングルマザーですが、この前の3月までは大学生だったんですよね。
去年一年間は週に1回1時間半かけて大学に行ってました。
実家に帰ってからはより遠くなったので、3時間くらいかけてたかもしれない。。。
娘を連れていったり、元旦那の実家に預けてる時期もあったり、後半は基本的に実家に預けてたり。
いろんな人がゆいの学生ママ生活を支えてくれていたんだと思います。
若いママは一定数存在すると思ってるんですけど、学生ママってそんな多いわけじゃないと思っていて。
今日は学生ママをしてた頃の話がちょっとできたらなって思っています。
学生ママ特有の相談相手、というか、頼る相手かもしれませんが、ゼミの教授にはすごく助けられました。
娘を連れていくのも融通をきかせてくれて、広い部屋でゼミが開催できるように配慮してくれました。
おかげでたまに連れて行った時も、動き回って飽きることなくその場にいてくれた。
あとはそもそも幼児教育関連の学科なので、おもちゃとかもめっちゃ多くて。笑
いろんなおもちゃも出してくれました、絶対あそび方違うだろ、みたいなあそび方ばっかりしてましたが。
あと実は、ゼミの先生は学生ママの先輩でした。
先生は学士じゃなくて修士のときにお子さんがいたんですよね。
周りの協力を得ながら大学に通っていた先生だからこそ、ゆいに対してもすごく理解してくれたし、考えてくれていた。
そして、先生もゆいと同じように離婚をしてシングルで子どもを育ててきた過去があったから、復学してからは何度も話を聞いてもらいました。
それこそ、後期はずっとこれからの動きに悩み続けていました。
先生に何度も相談させてもらって、毎週のように泣きながら先生と話してた気がします。
6年間大学にいて、4年くらいゼミの先生にはお世話になってきたんですよね。
でも、最後の半年が一番頼ったし、一番泣いてました。
コーヒーや紅茶出してくれたり、お菓子くれたり、ほんとにゆいにとっての第二のママでした。
ゆいの妊娠が発覚したのは休学中でした。
ママになると決めたときに、大学をやめる選択肢もあったと思います。
ただ自分の中にあった大学にいる目的は「教員免許」だったんですよね。
保育士資格を学部試験でとったのも「0歳から12歳まで」の免許を持っているという保証が欲しかったから。
自分がしていること、してきたこと、の実績から何か自分にできることを表現できる自信がないからこその、教員免許でした。
これは今も変わらない私の弱みですが。
自分の持っているものの価値を決められない、それを誰かに伝えられない。
だから、誰もが認められるような保証が欲しかった。
自分がママになっても追いかけたいものや世界観は変わらなくて。
子どもたちが心から笑っていられるような世界をつくりたくて、そのために周りの人間に関わりたくて。
ゆいが直接子どもたちと関わるんだと人数が限られてしまうから。
もっと複利的に、笑顔になる子どもを増やすために目指している世界があります。
だからゆいは、夢や想いを持つ若者と関わり続けている。
全員がその自分の彩で生きられる世界をつくりたいから。
子育て支援や保護者教育に関わりたくなったきっかけも、同じような感じで。
子どもたちが笑うためには一番近くにいる親の笑顔を大事にしたかった。
幼児教育に対する関心が薄れたんじゃなくて、もっといろんな子どもを救いたいが故の決断でした。
だからこそ、ゆいは自分が親になると決めたときに自分の夢をあきらめる選択肢はなかったんですよね。
自分も心から笑い続ける人生を生きるために、子どものために何かをあきらめる親でいたくはなかったから。
ゆいの場合休学して追い続けているものがあったからこそ、いつか娘が察するんじゃないかなと思って。
その時に「ママは私を産んで自分のやりたいこと諦めたんだなぁ」と思ってほしくなかった。
だから、何があっても諦めないって決めたし、そのためには育児をしながらでもちゃんと卒業して教員免許はとろうって決めました。
そんな感じで選んだ、「学生ママ」という選択肢。
同級生でママしてる人なんて全く知らなくて、というか、同年代でママをしている知り合いなんていなくて。
唯一同じくらいの子どものママをする予定だったのが、2個下の従姉妹。
でも、彼女は高卒で2年くらい働いていたから収入源もあれば、復帰する職場もある。
学生でママになるなんて、無謀なのかもしれない。
そんな不安はずっとつきまとっていました。
あと、休学の直前までバイトやサークル、大学に学外の活動とずっと動き続けていたんですよね。
いわゆる、ちょっと意識の高い大学生、って感じで忙しい日々を送っていた。
休学してからも、週3で保育士して、学生団体の立ち上げに関わったり、ご縁で企業の新規事業に関わらせてもらったり。
忙しさの中に訪れた「妊娠」という転機。
どんどん体が重くなって、コロナの流行も重なりあんまり外出もできなくて。
すごい自分が社会に取り残されていく感覚になっていました。
よくいうママが社会に置いていかれるってこういうことか、って身をもって体感していた。
そんな中でも、元旦那は変わらず動いて、仕事もして。
自分はずっと家にいて何をしてるんだろうか、っていう自己嫌悪に走ることが多かったです。
家にいても、そんなに体を動かさなくても、何か自分が誰かのために価値提供ができないのか。
そんな風に考えていた時に出会ったのが「WEBライター」という選択肢でした。
つながりのある人が起業したWEBマーケティングの会社があって、そこのインターン生として、ライターをしていました。
入院する前日に最終の入稿を終えて、半月後に新しい記事を書いてました。
これはさすがにちょっとハードすぎたかな。でも、何もしてないことが耐えられなくて。
ゆいは動き続けていないと生きられない人なんだなぁ、ってこの時に感じました。
「学生だし」「ママだし」って言われるのがすごく嫌だった。
育児って新しい命を育てるすごく大事なことだって頭では理解してるんですよ。
たぶん「何もしてない」ってママがいたら、子ども育てるだけですごいやん、って絶対言うんだけど。
自分にはそういえない私がいたんですよね。
だから、他のことで何か社会に価値を届けようとしていました、それができない自分を認められなかった。
ゆいは学生とはいえ残っているのは卒論だけだったのでそんな学生感はなくて。
「学生ママ」とはいえ、ただのママ、って感じでした。
毎週ちょっと娘と離れる時間が存在した、って感じ。
就活とか普通にする場合は、ママであることがいろいろ関わってくるんじゃないかな。
ゆいは結局就活してない人間なので、そんな関係ない、って感じ。
来年から働くにしても、派遣社員とかかなぁ、と思っているから、しばらく無縁かもしれない。笑
学生でもママになれるし、ママでも大学を卒業できる。
そして、ママでも自分の人生を生きていける。
でも、そんな簡単なことでもない。
何もできない自分に何度も泣いたし、自分のことをがんばったら家のことが疎かになる自分に失望したし。
それでも、「若いうちにママになりたい」という想いと「自分の人生を生きたい」という想いのふたつを天秤にかけたときに、どちらかを選ぶことはできなかった。
たぶん、今あの時に戻っても同じ選択をするんじゃないかな。
それくらい、学生ママになるという選択肢に対する後悔はないです。
そんな人生を生きられる人を増やしたいな。
後悔なく自分の彩で人生を生きられる人が増えたら、その中で子どもたちが成長したら。
その子たちはもっと自分の好きなことを追い求められるんじゃないかな。
っていうゆいの仮説。
将来的には、学生ママに収入源を与えられることをする。
ゆいが学生ママを経験してたからこそ、救える人はいるし、できることがきっとある。
そのためにもまずは、救いたい誰かのために、ゆいも強くなる。
今日もありがとうございました。
明日も今日よりも素敵な一日でありますように。
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