こんにちは、ゆいです。
今日はどんな一日だったでしょうか。
ゆいは、久しぶりに家から出ました。最近はずっと家に籠りっぱなし。
というのも、週末くらいから娘の体調がよくなく。三連休明けの火曜水曜と保育園を休んでいました。
久しぶりの在宅育児。24時間娘と一緒に過ごす日々。
あーこんなに育児って大変だったっけ、って思わされてました。
仕事も全然進まないし、疲労もどんどんたまっていくし。
ここ数か月仕事が忙しかったのもあり、昨日の夜は久しぶりにダムが決壊した感覚があります。
久しぶりに感情的になって、濁流としていろんなものがあふれてしまった。
もともと、溜め込んだあとで限界がきて流れてしまうタイプでした。
責任感が強くていろんな感情をひとりで抱え込むんだけど、どこかで限界がきて濁流としてあふれ出てくる。
でもその自分が嫌いだから、濁流が流れ出たあとで自責志向が強くなってまた自分を責める。
そして、誰かを責めてしまうのが嫌でまた自分で抱え込む。
そんな悪循環を自分の中で何度も何度も繰り返して生きてきました。
離婚前、というか、別居する前は毎日のようにその悪循環の渦の中にいた感覚があります。
毎日自分を責める声が聞こえてくる。
些細な一言に棘がついているような感覚になる。
その言葉に打ち勝ちたくて、なんとかその声から逃れたくて、外の世界にその怒りを流してしまう。
でも、そんな自分を自覚するたびに、自分のことがすごく嫌いになる。
この一年はすごく変化の一年でした。でも、その中でも一番変化したなと思う部分があります。
それが、溜め込むことがなくなったことでした。
不満がないわけじゃないし、納得がいかないことだって生きてたらいくらでもある。
仕事をしている中で、「それは違うくない?」と感じてしまうこともある。
ただ過去のゆいは「でもゆいが我慢すればいい」「ゆいが目をつむればいい」と思って抱え込む人間でした。
思っていることを思っているままに言葉にすることはできなかった。
でも最近は、違うなと思ったら違うといえるようになりました。
嫌われるのが怖かった、見限られるのも怖かった。
ひとりになりたくなかった、誰かと一緒に生きていきたいと思い続けていた。
ただ、そのままでいいんだといってくれる人が周りにたくさんいる。
嫌いになることなんてない、と笑ってくれる人がいる。
リーダーを経験したからゆいは強くなれたんだと思います。
自分で全責任を負うことも、誰かの人生を変えてしまうことも、怖くて仕方がなかったです。
ただ、今のゆいは、それがすごく面白いと思ってしまう人になってしまいました。
自分が、心からいいと思ったもので、心から好きだといえる場所で、誰かの人生のターニングポイントになり続けたい。
半年前に「ゆいちゃんはもうターニングポイントになれてるよ」といわれても分かりませんでした。
ただ、今なら、誰かの変わるきっかけをつくれてると胸を張って言える気がする。
ただこの強さはリーダーをしたから、というだけではなくて。
ありのままのゆいを、好きだと思えるようになったからだとも思っています。
それは、ありのままのゆいを受け止めてくれる人がいるから。
だからゆいは、自分のままで居ていいんだって思えるようになった。
そして、自分が感じた違和感も、苦しさも、客観視して言葉にすることができるようになった。
ただのイエスマンだったけど、「なんとなく」って逃げてたけど、そうじゃなくなった感覚があります。
自分の考えていることを言葉にできる、自分なりにちゃんと根拠をもって進むことも止まることもできる。
それは、ありのままのゆいが好きだと思えるようになったから。
感情をぶつけるんじゃ意味がないから、客観的に自分の感情を理解できるようになってきたから。
ただ、ゆいにとっての難関はやっぱり両親みたいです。
やっぱり子どもにとっての親はいつまでも正解なのかもしれません。
明らかに自分よりも人生を経験している、自分よりもいろんなことを知っている。
そして、ずっと守ってもらっている。
間違っているといわれている感覚になる、自分の意見を話すのがすごく怖くなる瞬間がある。
学生結婚、離婚、といういろんな意思決定を親にサポートしてもらいながらしてきたから余計に感じるのかもしれませんが。
ゆいはどこかやっぱり、親の顔色は気にして生きているんだと思います。
でも、気を遣って、親が正解かのように生きていてもどこかで限界が来るときがある。
溜め込んで溜め込んでしていたら、いつかどこかでダムが決壊してしまう。
濁流という名の負の感情があふれ出てしまう。
やっぱり感情をぶつけることに何の生産性もないし、時間も労力も無駄だなと昨日思いました。
誰にとってもいいことなんてない。負の感情を流したゆいでさえも、申し訳なさと自責の感情でいっぱいだから。
ならそんなことやらないほうがよっぽどいい。
自分のことを客観視して冷静に判断できた方がいいし、感情的にぶつけるんじゃなくて議論をしたほうが生産性がある。
何も生まれない感情のぶつけあいをするくらいなら、一呼吸おいて対話をしたほうが新しいものがうまれる。
久しぶりに大反省大会でした。
ネガティブは吐き出しても何もいいことないなって思ってしまった。
無理にポジティブに変えることが正しいとは思わないけど、ネガティブの根源に目を向ける姿勢はやっぱり必要なんじゃないかなと思って。
自分を守るためにも、大切な誰かを守るためにも、ちゃんと対話をできる自分でありたい。
そして、自分を客観視して、大切な誰かと対話のできるひとを増やしたい。
ともに生きるとはそういうことだと思うから。
ひとつの真っ白なキャンバスに、お互いの彩を尊重しながら未来を描いていけるように。
どちらかの主張が強い未来じゃなくて、お互いのこだわりが見える未来にするために。
ありのままのゆいでいいんだと、そのゆいを受け止めて愛してくれる人がいるんだと気づけたから。ちゃんと言葉にしていいんだと伝えてくれる人がいるから。
やっぱりゆいは恵まれているんだと思います。
ただ、ゆいが恵まれているから、で終わらせたくないのが事実だから。それじゃおもしろくないのがゆいという人間だから。
この幸せをいろんな人に拡げていきたい。
昔、かぞくを拡げるためには、ゆいが誰かのかぞくになることがスタートだと思っていました。
誰かにとってのひとりめになりたいと思っていた。
自分の人生が恵まれている、と思えるきっかけがゆいになるような、そんな人が増えたらすごく幸せだなって今は思います。
とりあえず最近は余裕がなさすぎるので、まずはやりたいことをするための余裕をつくらないと、、、
いろんなことがずれてますが、やりたいと思ったことややると決めたことはどこかではするので。
そういや進捗どうなってるのかなぁ、っていうのは、ちょっと伸びてるだけです。
絶対するのでお楽しみに~~!!!
ゆいのpaletteでゆいの彩を、誰かのpaletteで誰かの彩を。
そして、そのふたつの彩を混ぜ合わせられるco-paletteを。