こんにちは、ゆいです。

今日はどんな一日だったでしょうか。

この週末に家族で名古屋に出かけていたので、今週は月曜日ではなく火曜日の更新です。

ゆっくりとオフの時間を過ごしてきました。

うちの家族はいわゆるどこにでもいるような家族で。

両親と弟の4人家族。

今は脱サラして家業の農家を継いでいる父も、私が学生の頃はサラリーマンでした。

ママは持っている資格を使ってパートをしてた。

家に帰っても誰もいないことなんて日常茶飯事。

鍵を忘れて家の中に入れず、マンション下のロビーで待ってる日もありました。

両親のことも弟のことも好きですが、どこか仮面を被ってずっと生きるきっかけは家族だったと思っています。

自分の意見なんて二の次で、家族が笑ってくれていることが最優先でした。

わがままを言うのもすごく苦手で、自分が欲しいものを素直に表現することができない人でした。

誰かに弱さを見せるとみんなが離れていく気がして、ずっと強がっていました。

涙もろくて、感動とかで泣くことはよくあるけど、悔しさや情けなさで流す涙はずっと隠して生きてきました。

笑ったふりをして、笑顔の仮面を被って、心の奥がずっと泣いているようなそんな生き方。

同じように、自分の意見を話せないままに生きてきた人は多いんじゃないかなと思っています。

日本の、日本人のいいところであり、悪いところだと思いますが。

ゆいみたいに対象は家族ではないかもしれないけど、友達とか仕事仲間とか。

そういう誰かとのかかわりの中で、ちょっとずつ自分をつくって、強がって生きている。

自分の個性を発揮した先では、「外れ値」という見方をされる。

みんなちがう変な奴、という烙印を押されてしまう。

誰しもみんなと違う部分を本来は持っているはずなのに。

みんな一緒であることが当たり前かのように振る舞われ、その結果として違う行動をした人が目立ってしまう。

そうして、誰かに好奇な目で見られることが嫌になった人は、周りの意見に同調するようになる。

自然と本来の自分というものをうちに隠して、誰からも好かれるような自分を演じるようになる。

「優等生」というレッテルを自分に貼っていました。

自分で、自分は優等生であらなければいけないんだ、と縛りをかけていました。

そうじゃないゆいには存在価値がないも同然だった。

自分がここにいる意味を誰かから見出していたし、誰かの評価が自分のすべてだった。

だから、本来の自分で思いっきり輝いている人がすごくかっこよく見えていたんです。

自分にないものを輝かせていたから。

ゆいがほしいと思っても、どうしても手に入れられないものだったから。

今思えば、怖くて手を伸ばさなかっただけで、自分がこの人生を生きるって決めてたんだろうなと思います。

当時のゆいは目立つのがほんとにいやで、もっと挑戦的な、自分の好きなことをするような人生を生きようとはできなかった。

でも、今は少しずつ変わってきたんだと思います。

10年前のゆいに、学生結婚してシングルマザーしてるよ、なんて言っても信じられないだろうな。

就職せずにフリーランスしてる、っていっても想像もつかない世界だと思う。

自分で何かをつくり出す生き方をするなんて思ってもなかったし、というか、そもそも選択肢にもなくて、普通に就職すると思っていたから。

そんなゆいに「ゆいちゃんの正解不正解の軸は他人にあるよ」と言ってくれたビジネスパートナー。

そして彼が、「ゆいちゃんのやりたいことはなに?」と問い続けてくれたおかげで今がある。

いろいろ考えて、自分なりに答えを見つけて。

それでも、両親の前では素直になれない自分がいました。

いつも強がって、両親が望む優等生のお姉ちゃん、を自分で勝手に作り上げて演じていました。

先に伝えて反対されるのが怖くて、いつも事後報告で余計に怒られていました。

こういうのは10年かかるから、と言ってくれるけど、成長できない自分に何度も嫌気がさしていました。

実は、去年の年末に今年一年自分のやりたいことを伝えました。

ちゃんと事前報告をして、頼りたい、と言葉にしたのははじめてだったかもしれないです。

別居を始めたときも、離婚をするときも、ずっと実家から出ることを最優先事項のように位置付けていたから。

今の自分が生きたい生き方を手に入れるための最速の手段を考えた、っていう感じ。

きっと今は両親の力を借りることが大事で、ひとりで何もかも背負っておたら全部が中途半端で終わってしまう。

自分の中でひとつ区切りがついたような、大人になれたような、そんな感覚がありました。

ただ、今回の名古屋旅行で気づいたことがあります。

結局まだゆいは、親に対して本気でぶつかれるほど過去を克服してはいない。

ゆいなりに、大事にしたいものがあってママをしているつもりです。

もちろん、大多数のママとは違う生き方かもしれない、大事にしているところは違うかもしれない。

それでもゆいなりに必死に考えて、自分と娘の中で何を正解にしていくのかを選んでいる。

何も考えていないように見られているのかもしれないし、適当にママをしているように見えるのかもしれない。

育児も仕事も中途半端なんだろ、って思っている人もいるかもしれない。

でも、ゆいの中では両方本気なんです。

両方本気だから、すごく不安になる時もあるし、これでいいのかなって悩むし。

ただ、選択を正解にできるのはこれからの自分だなと思うから、毎日の選択を正解にするべく生きている。

それでも、やっぱり自分の中で揺らぐ瞬間が存在する。

旅行中に娘の育児方針、というか、ゆいのかかわり方について怒られました。

お酒が入っていたからなのかもしれない、疲れていたからなのかもしれない。

でも、ゆいの中では自分の中で確立していて大事にしているものを崩される感覚でした。

ただゆいは、自分の中で譲れないものに対してごめんと謝ることはできませんでした。

だって、それは意図をもってゆいの中でいろいろ考えた結果出した答えでありかかわり方だったから。

他人は、あなたの行動を表面でしかとらえることはできない。

全部自分の解釈を加えて理解している。

実際に何を考えていたかとか、行動の背景にある理由とか、本人に聞かないと分からないのに。

自分が感じたことをすべて事実かのように振る舞う人がいる。

スマホを触っていたら何も考えていないように見えるのかもしれない。

目の前で繰り広げられている会話を聞いていないように見えるのかもしれない。

でも、それは仕事の必要な連絡を返しているだけで、耳は目の前の会話に向いていることだってある。

脳内はなにが娘にとって一番いいのかを考えていることだってある。

じゃあそんなときにどうするのが一番いいのか。

たぶんちゃんと理解してもらうことが重要で、自分の意図を冷静に話す必要があるんじゃないかなと思います。

でも、まだゆいにはそんな強さはなかったみたいです。

昔の怖い父が、結婚していたころの夫婦喧嘩が脳内を占拠する。

怖くて涙があふれてきて、布団に潜り込みました。

ゆいは自分の大事なことから逃げたのかもしれない。

それでも、ひとつ自分の中で譲れないものができたんだなと思った瞬間がありました。

それは、仮面が被れなくなっていたこと。

ずっと、嫌なことがあったら仮面を被って、愛想笑いをしながら生きてきました。

心は泣いてるけど顔は笑っている、みたいな感覚。

でも、その生き方はできなくなっていた。

後半の父親との、というか、両親とのコミュニケーション量は格段に少なくなりました。

話したくない、と思ってしまったから。

でも、親とは言え、家族とは言え人と人だから、関わりたくない瞬間も存在して問題ない。

親でさえも違う人間なんだから価値観は違う。

だからこそ、あなたの中にある、あなたにしか出せない価値観を、彩を、ゆいは大切にできる人を増やしたい。

そして、家族とかパートナーとは、その彩をお互い尊重できるような、輝かせるためにお互い尽力できるような、そんな関係を築いてほしい。

あなたの彩をそのまま表現しても受け止めてくれるような、より輝かせてくれるような。

そんな関係で結ばれる人たちが増えたら幸せだなって。

父親と喧嘩?をしながら考えた週末でした。

些細なことでも励みになるので、気になる方はコメントお待ちしております!

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