こんにちは、ゆいです。
今日はどんな一日だったでしょうか。
ゆいは、保育園に娘を預けた後コナンの映画を観に行ってきました。
久しぶりに映画館でコナンをみれて、楽しかったです。
先に観た友達から、なんとなく最後はこんな感じかなぁ、と思いつつ見ましたが、それでもおぉ、ってなりました。
1年後どんな自分でありたいですか?
これまでの人生を生きてきて、自分で道を切り拓くという世界を選んで、問われることが多かったこの問い。
正直に言います、めちゃくちゃ苦手な質問です。人生で苦手な質問TOP5くらいには入ると思う。
未来という不確定なものを想定される質問はすごく苦手です。
「そんな風になれないでしょ」といわれるのも「もっと目標は高くしなきゃ」といわれるのも鬱陶しいから。
ちなみに、同じくらい苦手なのは自己評価を問われる問い。
誰かから見られる自分というものをずっと意識し続けて生きてきました。
そして、そんな自分を裏切らないように、裏切って見限られないようにって思っていました。
その結果としてゆいは、着ぐるみを着ていたんだと思います、ありのままの自分を表現するのがすごく怖かったから。
いつの間にか、自分として生きるんじゃなくて、誰かから見える自分として生きることが優先されていた。
未来と言い自分の評価と言い、不確定要素を想定して話すのがすごく苦手でした。
でも、最近はやっと自分のやりたいことを表現することができるようになった。
そして、1年後どうありたいのかも言葉にすることができるようになってきた感覚があります。
ずっと自分が何かするっていうのはあんまりイメージが湧かなくて。
大切な人が笑い続けてくれるために何かできたらいいな、みたいな感覚。
そんなゆいがはじめて自分でつくれたら幸せだなと思えたものがあります。
それが、4年前に考えていた「第二の家」。
そんな解像感が高かったわけじゃなく、漠然と古民家で大学生が集うシェアハウスをつくりたいなと思っていました。
自分らしく好きなものを追いかけている大学生と、子どもたちが出会う場所。
大学生の「やってみたい」を小さくカタチにできる場所。
家と学校、とか、家と会社、だけじゃなく、もうひとつ居場所があってもいいんじゃないかな。
サードプレイス、ってめっちゃ大事だけどなんか冷たい感覚が個人的に拭えなくて。
もっとあったかい場所になればいいのに、と思って言語化したのが「第二の家」でした。
「お邪魔します」じゃなく「ただいま」といえる場所を増やしたいと思っていたんです。
実は、ちょうど1年前くらいにもシェアハウスをつくろうとしていた時期がありました。
友達と一緒に内見に行ったり、住人の候補を探したり。
いろいろあってうまくいかず、家を借りるところまでには至らなかったんですけど。
娘が育つ環境として、いろんな価値観に触れられる家をつくりたかった。
そして、挑戦したい大学生のハードルが少し低くなるような、そんなことがしたいなと思っていました。
4年前、そして、1年前と思い描いたシェアハウスですが、結局一度もカタチにはならなくて。
結局自分にはできないのかなぁって、ゆいは自分で何かを叶える力はないのかなぁ、って思っていました。
でも、やっとそれが本格的にカタチになるような予感がしています。
というか、1年後にカタチにするために動くことに決めました。
1年後には女の子たちが集うシェアハウスをつくっている人間でありたい。
結局、何気なく思っていた「やりたいこと」は忘れなかったら叶えることができる。
ただ自分の中で忘れずに、火を消さずにいることが大切なだけ。
何年か前にビジネスパートナーに言われた言葉があります。
「あきらめなければ成功する確率は1」
当時のゆいは、まぁそうだよね、と思いながら何も腑に落ちてなくて、そりゃいつかはね、みたいな感覚でした。
でも今はちょっと違う、昔のゆいにやれなかったのは、まだスキルが追いついていなかったから、資産が足りなかったから。
でも、この4年という時間の中で手に入れたいろんな資産があり、向き合えた自分の弱さがある。
人は、ひとりで生きていける生物ではない。
どの動物にも当てはまるかもしれませんが、少なくとも人間はひとりじゃ生きていけないと思っています。
もし仮に生きていけたとしても、その人の人生は単色のまま。
いろんな彩とのグラデーションも、コントラストも楽しめない。
ただ自分という彩でしか表現されない、ちょっと殺風景でさみしく冷たい社会。
でも、ひとりじゃ表現できない彩も、誰かと混ざり合うことで表現できるんですよ。
ひとりじゃできないことも、誰かと一緒なら叶えられるんですよ。
だから「できない」「助けて」って叫んでいい。
ひとりひとりは弱っちくて、非力で、なにもできなくて、でも、協力する、という力を持っているから。
ずっと周りばっかりすごく見えて、自分にないものばっかり数えている人生でした。
自分だけが何もないような、自分だけが欠けているような感覚で生きていた。
でも、そんなはずなくて、誰かにあるものをうらやましく思うように、あなたにあるものをうらやましく思ってくれる人が存在する。
だって、完璧な人間なんていないから、みんな、誰かと支え合って生きているから。
だからゆいは、誰かと助け合って幸せになれる女の子を増やしたい。
ひとりじゃできないことも、仲間と一緒に叶えていける女の子が集まるシェアハウスをつくりたい。
4年前に宣言するのが怖かった「第二の家をつくりたい」という夢。
1年前は一緒に立ち上げを考えていた友達がいないとつくれなかった「シェアハウス」。
今ももちろん、一緒にその未来にワクワクして進んでくれるコアメンバーや、そのための準備を一緒に考えてくれるビジネスパートナーがいます。
ゆいひとりじゃ叶えられないことが無数にあって、助けてもらってばっかりで。
でも、「助けてもらってばっかりで申し訳ない」と思うことはなくなりました。
だって、どうしても叶えたいと思ってしまったから。
何があっても叶えたいと思えるものになんてそう簡単に出会えるわけもなくて、ゆいもずっとわからなくて苦しかった。
なんでみんなにはそこまでして叶えたい夢があるんだろう、なんで自分にはないんだろうって。
何度も「自分には何かが欠けているのかもしれない」と思ってきた。
人生というものに本気じゃないのかもしれないって、自分だけ覚悟が足りないって。
育児×キャリアといういばらの道を選んでも信じられなかった自分自身の覚悟。
でも、やーっと、ゆいも生きてるんだと思えるものに出会えた。
きっとこれを追いかけるためにこの世に生まれて、今ともに生きる大切な人たちと出会ったんだと思う。
失敗しても一緒に笑ってくれるような、何度でも新しい一歩を踏み出させてくれるような、そんな仲間たち。
そして、何度失敗しても追いかけたいと思えるもの。
出会えてよかったと思えるもので世界があふれています。そしてそんな人生がすごく幸せ。
だから、そんなものに出会える女の子を、そして、すてきな何かに出会えた女の子たちが一緒に走り続けられる仲間を増やし続けられるように。
かっこ悪くていい、情けないって泣いていい。だってゆいが何度も泣いてきたから。
いろんな葛藤も苦しさも情けなさも抱えながら、でも、その中に幸せだって、生きてるんだって思える瞬間が必ず存在する。
ゆいは自分の弱さを受け止めて、強くなれた結果、しあわせで涙があふれていました。
何も叶えられなかった、口だけで夢を語る嫌いだった自分はもういなくて。
最近は未来の話をするのがワクワクして楽しくて仕方がない。
これで本当にうまくいくのかな、って不安になることもいっぱいあるけど、それでも、その先の未来をみてみたいと思ってしまう。
だってその先に拡がる未来がすごく楽しそうでワクワクするから。
そんなものに出会えるまで寄り添える人でありたいし、叶えるまで伴走できる人になりたい。