こんにちは、ゆいです。
今日はどんな一日だったでしょうか。
ゆいは昨日、ブログのことを完全に忘れていました。。。笑
最近いろいろ楽しくて、夢中になっていると忘れているものが存在します。
というわけで、1日遅れでの更新です。
もう12月も1/3が終わりましたね、今年が終わるまであと19日?
なんだか11月ごろから時の流れが速くなりました、気づいたら12月。
再来週には世の中では「年末」といわれるようなスケジュールに変化していきますね。
仕事納め、みたいな言葉を友達と話すことが増えました。
さて、私に仕事納めは来るのでしょうか、たぶん来ません。笑
この1週間は来年の話、そして、再来年の話をする時間がすごく多くなりました。
来年は再来年の自分のための準備期間、みたいな感覚が強いです。
そして、のこり20日は来年の準備期間。
これから先は、毎年そんな感じで進んでいくのかなぁ、とぼんやり考えています。
ずっと、1年後の自分を想像しながら、理想の人生を生きるための道を自分でつくっていく。
もちろんゆいがひとりで自分の人生をつくっているわけではなくて、ゆいの周りには手を差し伸べてくれる人、助けてくれる人が無数にいます。
一緒に人生をつくってくれたり、
別にゆいだけじゃなく、すべての人にそういう人はたくさんいるんだと思います。
だって、ひとりでできることには限りがあるから。
ゆいがひとりじゃ到底手の届かないようなところまで、ひとりじゃ見れない景色まで、連れて行ってくれる人がいる。
手を引っ張ってくれたり、背中を押してくれたりしながらかかわってくれる人がいる。
最近いろいろ考えていることがあって、何となくこの場に残しておこうと思います。
やっぱりゆいは、女性に対して何かしたいという想いがあるみたいです。
いろんな人と話をするけど、なんか感覚が違う気がしていて。
男性に対して身構えてしまう部分があるのも事実です。
それは、今のゆいの生き方を、好奇の目で見てくるのはなんとなく男性が多いのも要因になりますが。
それでもやっぱり、女性が女性としての幸せだけじゃなく、自分自身としての幸せを追いかけられたらいいんじゃないのか、とずっと思っています。
ゆいが、ママに対して何かしたいと思ったのも同じような動機でした。
自分自身がずっと、両親の顔色を見て生きてきていたから。
ママに笑っていてほしくて、パパとママが喧嘩してほしくなくて。
家族のために我慢しているママに、すごく申し訳ない気持ちを抱きながらずっと生きていました。
だからこそ、子どもたちのためにママに笑っていてほしかった。
ママに足りないものは時間の余裕だって、自分のために使える時間なんだって考えていました。
託児所×カフェみたいな場所の構想も、第二の家の構想も、すべてここに起因します。
ママが子育てを誰かに任せられるような、子どもと一緒にいるけどちょっと心が落ち着くような、そんな場所をママたちに届けたかった。
当時のゆいは、それがママにとって必要なものだと思っていました。
別に今でもその想いが変わるわけではありません。
というか、ママが安らげる場所は絶対必要だと思っています。
だって、育児ってほんとに大変だから。
世のお母さんたちがほんとうにすごいと思っています。
ゆいは実家に甘えてるし、好きな仕事をしながら、好きに育児をしているだけだけど、でもすごく大変。
ただ、なんとなーくですけど。
ママ達って時間をもらってもすること決めてない気がするんですよね。
実際、今も託児所とか一時保育とか存在するし、ベビーシッターだってサービスとして存在する。
自分の休息のためにちょっとお金を投資すればいい環境は整っている。
ただ、そのお金を投資して何を得るのかが明確じゃないから、何が欲しいとか思ってないから。
ただ育児を「サボる」行為の位置付けになってしまって、誰かの手を借りるという選択肢を選べない。
家事育児が大変か仕事が大変か、みたいな論争もありますが。
別にどっちだって大変だよ、でいい。
だからお互いに休む時間が必要だよね、でいい。
会社員に有給休暇という制度が存在するように、その制度を口実にただ休める日がつくれるように。
ママにも自分なりの「休暇」は必要なんじゃないかなと思うんですよ。
子どもが昼寝してるときに休憩してる、って、年齢にもよるけど子どもといる時点で完全に気が休まることはないし。
そういう人は、自分が一度預かってその時の自分を顧みたらいいと思います。
すごく疲れるか、ずっとスマホ触って子どもを放置している自分がいるか、の二択じゃないかな。
ゆいは実際、お金をかけてはないですが両親に預けたりして過ごしています。
そのおかげで追いかけ続けている夢があります。
前は、友達に預けて美容院に行ったこともありました、ある意味ベビーシッター。
ただ、自分でその選択が取れない理由を周りのせいにする人が多い。
有休も似たような部分があるかもしれませんが。
「周りが使ってないから」「ほかの人は休んでないから」「みんな頑張っているし」
他の人を見ながら自分を鼓舞するのはいいと思いますが、そんな同調圧力に負けてなんになる、と最近思っています。
思っているだけで、ゆいも負けそうになる時はありますが。
あとなんか、日本人って年齢が上がれば上がるほど自分の考えを正解だと考える人がすごく多いなあと思っていて。
生きてきて30年40年経つとなんでも知っている気分になるのでしょうか。
これは、「先生が正解だ」「親が正解だ」と教わってきたからこそ生まれるものなのかもしれないですが。
正解を持つことは素晴らしいけど、それを他者に押し付けたり、その軸で他人を裁くのはナンセンスだと思っています。
だって本人たちが幸せなんだったらそれでいいんだもん。
でもこの思考が、ゆいを踏みとどまらせる一言なのかもしれないです。
ほんとにそれでいいの?と思いながら、あなたがそれでいいならいい、と思っている。
自分の正解の軸を伝えられる人は、もしかしたら他人を変える力を持っているのかもしれないですね。
ただ、ゆいはゆいなりの方法を探すまでです。
いろんな圧力に負けず、自分の人生を生きられる女の子を増やせたらなと最近考えています。
結婚しようがママになろうが、自分であることには変わりないから。
そして、誰でもなく人生の主役はその人自身だから。
聞いた話ですが、まっすぐ自己実現に進んでいるような女の先輩が、「いま子育てをはじめたら自己実現が不完全燃焼で終わってしまう」といっていたらしいです。
個人的にはすごく衝撃的な発言でした。
やっぱり、育児をしながら自分の夢を追いかけるのってすごく無理があることなのかもしれない。
でも、自分らしく生きられる時間が存在することが、自分として生きている実感に変わる。
ママとしてだけの人生を生きていたら、どこか自分の価値がないような、ママじゃなくなったときの不安がつきまとうような毎日を生きることになる。
自分で自分の価値を決めるんじゃなく、家族に自分の価値を決めてもらうことになる。
だから、家族のために自分を犠牲にするママが多いんじゃないかなと思っています。
でも、ママも家族のために生きる時間がありながら、自分のために生きる時間があっていい。
というか、あるのが人権なんじゃないかと考えています。
こんなことを最近考えつつ、女性が年齢を重ねるごとにぶつかっていく様々な壁を壊せないかと模索中の毎日です。
来年は、女の子を主軸において動き続けることになるのかな。
なんとなく生きている人が多くて、何となく大学に進学して就職している人が多いと思うけど、そんな人だからぶつかる壁があると思っていて。
なんとなく生きてたら、それなりに幸せかもしれないけど、このままでいいんだろうか。
この壁にぶつかった女性と、向き合い続けられたらいいなと思っています。
じゃあどう生きることが自分の幸せにつながるのか。
自分でどんな選択をする人生を生きるのか。
こんな感じでブログとか書いてますけど、ちゃんと自分で何か作ったことはないです。
他者視点ではあるかもしれませんが、自分的にはずっとなくて。
でも今回は、ちゃんと自分で何かを作り上げられるかもしれないな、と思っています。
来年から走り続ける準備として、女子だけ忘年会、というイベントをすることにしました。
日程は12月27日の18時から。@心斎橋
女性なら年齢問わず誰でも大歓迎です、どんな悩みを抱えるのか、ほんとはどう生きたいのか教えてください。
気になる方は詳細をお伝えするので、公式LINEでもTwitterでも連絡ください~
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特に、新卒1-3年目のときに転職した人、もしくは転職を検討した人の話を聞きたいです。
全然該当しなくても、男性でも高校生とかでも連絡くれたらお話するので。
将来どう生きようかな、何が自分したいんだろ、って悩んでいる人はぜひ一度ご連絡ください~